2014年9月27日土曜日

アレハンドロ・ホドロフスキー

  ある程度映画というものを観はじめると、ってかこの時期にちょろちょろアップリンクとかジャック&ベティとか行ってると、どうしても視界に「ホドロフスキー」という名前が目につくようになる。DUNEってアレだよなぁ、スティングが出てたって奴だよなあ、程度の知識しか無い俺でも、なんなくは気になり始める。気になるとじわじわと、収集しないまでも漠然とした情報が入ってくる。丁度新作を上映してる時期だったし、ツイッターでも多少は話題に上ったりしている。サブカル的には基本の一つのようだ。なんとなく、観てみようかな、と思い始める。


 残念ながらその新作「リアリティのダンス」ももう一本のドキュメンタリー「ホドロフスキーのDUNE」もジャック&ベティでの上映が終わってしまっていたのだけど、渋谷のアップリンクでやっていたので、当時丁度会社の夏休みで時間もあったし、「リアリティのダンス」を観に行くことにした。しかもアップリンクだけ無修正版だという話もあったので、折角だから。

 ちょっと前にAV監督の二村ヒトシの著作を読んでたんだけど、そこで彼が書いていた「インチキ自己肯定男」という概念、劇中のホドロフスキーの父はそういう人物に映った。共産党の幹部で、家では権威的に振る舞う「男らしい男」、でも実際には小さい人物(必ずしも否定的意味でもなく)であることが、大統領の暗殺に失敗してからの転落人生というかたちでじっくり描かれる。

 そんな彼が救済されるのがストーリーの軸。結果として徹底した無神論者が神の愛に目覚める、とはいえその神も、本来的にはキリスト教の神なんだけどむしろ「ホドロフスキー母=神」に見える部分もあったりして、まあ実際のところホド父を救済してるのは殆どオペラで喋る不思議な力を持った神秘的で巨乳の女性として描かれるホド母だ。

 テーマはホドロフスキー自身の自伝的な内容と言うのだけど、実際には現実の自伝と言うより、過去を理想の形でリブートしたような内容になっているという。まあどう見ても現実的じゃない、ファンタジック(かつグロテスク)な映像は作り物感満載。色彩のビビッドぶりがそれに拍車をかける。美しさと悪趣味の紙一重の同居はまあ、サブカル分野の人間のツボなんだよなあ(良くも悪くも)。フリークスの役者たちも、無修正でちんこ出すのも、放尿も、何らかの問題提起的なものと言うより「出したいだけ」という感じが伝わってくるのもまた、良い(ちなみに実際には余所でも無修正だったらしい)。

 コレを観てしまったら「DUNE」の方も気になって仕方ない。日を改めてアップリンクに再訪した。

 こちらは70年代に頓挫したホドロフスキー版DUNEの回顧ドキュメント。ホドロフスキー本人は勿論、関わるはずだったプロデューサーやスタッフのインタビューと、各映画会社に渡されたという絵コンテを中心にして構成されている。

 先ず何よりね、もうアレハンドロお爺ちゃんの元気なこと。そして楽しそうなこと。ギラギラした目つきで生き生きとして当時のコトを語るホドロフスキーの姿を観てるだけでも楽しくなるし、惹き込まれる。そりゃあ、この顔で「おまえは魂の戦士だ!一緒に映画を作ろう!」って言われたら、まあ無条件に乗っかるかどん引きするかどっちかだよね(笑)

 そうやってスタッフや役者をどんどん引き入れていく様を彼や、引き込まれた当事者たちの証言で観てるとそれだけでちょっとしたストーリーに見える。仲間を集めて、巨大な悪に立ち向かうわけですよ。相手は映画会社なんだけどさ。しかも負けちゃうんだけどさ。

 でもね、それを、駄目だったことも含めて「全てイエスだ!」って、例の目つきで力強く語るホドロフスキー、このシーンがハイライトだな。スペイン訛りなのか「イエス」が「じぇす!」って聞こえるんだけど、真似したいね。なんか逆境で、でもそれを受け入れて前進しなきゃいけないときに言いたい言葉。「じぇす!」前向きになれそう。「じぇす!」

 絵コンテ、アートボード集?についても触れたい、というか、もうコレだけで「DUNE」って作品だからさぁ、出版してほしい!限定豪華本で2〜3万とかでいいから出してほしい!凄いよあれは。お爺ちゃん自身言ってたけど、アレがもう映画だよ。うん、欲しい。欲しいなぁ! 

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