
シンメトリーだとか、平行移動だとか俺が書いても今更ど素人が何を言ってやがるって世界の話だけど、色彩と相まって、あまり奥行きを感じない画面に真正面からのアングル。なんか紙芝居みたいな絵面だな、と思っているとどう見ても本当に書き割りの映像(ホテルの外観など)が出てきたりして、またその辺がなんとなくテリー・ギリアムのアニメーションを彷彿とさせたりもして、そういうところにはどうにもニヤニヤしてしまう。
ホテルの外観のピンク、ホテルマンの制服の紫、エレベーターの赤、ビビッドな色合いが印象的に使われているかと思うと悪役は徹底的に黒。シンプルで解りやすい配色。なかでもケーキ屋のバンのピンクが印象深いのはこの期に及んで微妙に呑気なラブラブ感が漂うせいか。

そうなんだよね、基本はサスペンスなのに、主人公たちはどこか呑気と言うか、緊迫感が無い。常にユーモアを忘れない飄々とした人物像、っていう描き方とも少し違って、むしろ意図的に緊迫感をそぎ落としてカリカチュアライズした感じを狙ってるのかな。会話はなんとなく軽妙だし、死者が出ても適度にスルーされる。
で、このキャラクター性の嘘臭さが絶妙に画面の嘘臭さとマッチしてるのね。で、余分なものがそぎ落とされてる分スピード感が凄い。紙芝居をめくっていくように、ぱっ、ぱっ、とストーリーが展開していく。ミステリー仕立てではあるけど謎らしい謎はなくて拍子抜けするくらいシンプルなオチに繋がるし、とにかく観ていてストレスが無い。ギャグやびっくり箱の配置も絶妙だし。

本編はつまり少女が読んでいる物語だ。それは実際の出来事をゼロが語り、それを更に時が経てから書物に書き留めるという流れの中で記憶は歪められ、物語としては脚色され、少女の想像のなかでイメージ化された結果が、あの可愛らしい画面と荒唐無稽な物語、と考えるとほら、辻褄が合ってしまう。
こんなにカラフルでスピーディーで楽しい映画なのに、「孤独」ってのもテーマなのかな、とも思う。グスタヴ・Hにしてもゼロにしてもアガサにしても天涯孤独の身で、ご丁寧に、ラスト近くにはある意味唐突にゼロがグスタヴやアガサを失う経緯を語ったナレーションまで入る。本編のストーリー的にはゼロが彼らを失う必要は無い(特にアガサの死はストーリーとは無関係だ)。だけどゼロが作家に向き合うシーン、そして最後にひとりグスタヴ・スウィートへ「消えていく」シーンへ繋がるためには必要なんだろう。とはいえ、作家も一見孤独気に描かれているけど80年代のシーンでは子供が出てきたりして、そうでもないのかもしれないけど……
0 件のコメント:
コメントを投稿