tag:blogger.com,1999:blog-69704635740266281122024-03-14T05:04:46.298+09:00Soul Deep 71-85-91-??Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/08923365297074708397noreply@blogger.comBlogger94125tag:blogger.com,1999:blog-6970463574026628112.post-81769827793168181832015-02-11T19:18:00.000+09:002015-02-11T19:18:23.052+09:00憧れのHappiness is a Warm Gun症候群<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
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<a href="http://3.bp.blogspot.com/-aPrqTLxwrqc/U2dTRagcECI/AAAAAAAABJA/jK3vI19kl3Q/s1600/beatles_hiawg.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="http://3.bp.blogspot.com/-aPrqTLxwrqc/U2dTRagcECI/AAAAAAAABJA/jK3vI19kl3Q/s1600/beatles_hiawg.jpg" /></a></div>
憧れのHappiness is a Warm Gun症候群とは。<br />
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ジョン・レノンの最高傑作ともいえるHappiness is a Warm Gun、この曲に対し惜しみの無い賞賛を浴びせるミュージシャンや音楽ファンは多いが、そのなかでも代表的な存在なのがポール・マッカートニーその人だ。多分ポールはこの曲をものにしたレノンに対し、憧憬と嫉妬が入り混じった感情を、おそらく遅くとも1973年までは持ち続けていたと思われる。<br />
<br />
Happiness〜は大きく分けて3パートからなる楽曲だ。まず静かに始まる導入部を仮にパート1とする。このパートが徐々に盛り上がり、曲はパート2、ダークなメロディとリズムをもった部分に移行する。デモではI Need a Fix / Mother Supperiorというタイトルだったパートだ。そしてラスト、最も盛り上がる、解りやすいメロディと開放感のあるパート3で大団円を迎える。一種の組曲ともいえる構成になっているのがこの曲の特徴だ。<br />
<br />
で、この曲を聴いたポールは、病気にかかってしまうのだ。「俺もHappiness is a Warm Gunを作りたい」。<br />
<br />
さっそくポールは69年、You Never Give Me Your Moneyを作曲する。この曲、Happiness〜と酷似した構成を持っているのだ。静かに始まるパート1から、パート2にあたる部分ではハードに展開する。但し、I Need a Fixのようなダークさは無く、ホンキートンク調のピアノが入った明るい雰囲気になってるのがレノンとの違い。パート3が曖昧なのがこの曲時点で消化具合が低いせいか、同じにはしたくないという意地か。あえて分けるならOne Sweet Dream〜からエンディングの部分に開放感を感じる。<br />
<br />
Back Seat of My Carも影響下にあると思っているのだけど、パート2にあたる部分が無いのと、パート1、3が繰り返し現れるので印象は違う。Long Haired Ladyも近いが、組曲というより一曲の中で整合性があるパート分けになっている。ただ、この時期の曲は他にもUncle Albert / Admiral HalseyやLittle Lamb Dragonflyなど、複数の曲(断片)を組み合わせて一曲に仕上げるというパターンが非常に多く、これがポールの作風の一つになっていく。<br />
<br />
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<a href="https://3.bp.blogspot.com/-4YBK0kWMTyM/VGHnx443egI/AAAAAAAABgQ/R0scwhEDgzU/s1600/wings_bol_7sp.jpg" imageanchor="1" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" src="//3.bp.blogspot.com/-4YBK0kWMTyM/VGHnx443egI/AAAAAAAABgQ/R0scwhEDgzU/s1600/wings_bol_7sp.jpg" /></a></div>
余談だが、コレは実はレノン&マッカートニーでよくやっていた技でもあって、それをレノンが一人でやったのがHappiness〜とも言えるわけだ。更に余談になるけど、A Day In the Lifeのスタイルをポールが一人で再現したのがLive and Let Dieだし、Abbey Roadメドレーを再現しようとして的確に失敗したのがHold Me Tightメドレーだと思う。<br />
<br />
閑話休題。こういう作風の実験を続け、なかなか「俺のHappiness」をものに出来ずにいたポールだけど、73年、遂にそれを完成させる。それがBand on the Runだ。<br />
<br />
この曲はもう完璧にHappiness is a Warm Gunの構成をなぞっている。静かに始まるオープニング(パート1)からダークな雰囲気のパート2(If I Ever Get Out Here〜)に展開。ここはI Need a FixよりMother Supperiorの雰囲気に近い。そして短いブリッジ(Happiness〜には無い)を挟んでラストのタイトルフレーズを含む大団円へ。<br />
<br />
多分この曲でポールはコンプレックスを解消したんだと思う。よりポップで、アルバムタイトルにもして、シングルにもなって、ヒットもした。「俺は勝った」と。いや、ポールがそう思ったかどうかは知らないけど、そういう人だろうあの人は。レノンを乗り越えた、と。<br />
<br />
解消したんだけど、今度は味をしめたのか更にキャッチーに、スタジアム級を狙って作ったのがVenus and Mars / Rock Showだし、それこそ断片組み合わせ系、メドレー系の楽曲は山ほどある。もう作風として完全に染み着いちゃうところまで来たわけだ。Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/08923365297074708397noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6970463574026628112.post-81169712267915317432015-02-11T19:15:00.000+09:002015-02-11T19:15:36.669+09:00Aphex Twin / Syro<a href="http://2.bp.blogspot.com/-CXubWW3kt8o/VFdftQOKr7I/AAAAAAAABd4/FfunBqHbuVw/s1600/afx_syro.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="http://2.bp.blogspot.com/-CXubWW3kt8o/VFdftQOKr7I/AAAAAAAABd4/FfunBqHbuVw/s1600/afx_syro.jpg" /></a> ディスクの取り出しの面倒くささに関しては2014年トップの座を独走することがすでに約束されている、そんな凄いアルバムが出た。<br />
<br />
とにかくリリース前から「リチャード・ジェイムズが13年ぶりにアルバムを!」って大評判だった。期待の声が大きかったし、俺も去年くらいから旧譜(リアルタイムでスルーしていたモノを含む)を改めて聴いたりしていて、「久々に聴いてみようかな」という気分になる土壌が出来ていた。個人的には凄く丁度いいタイミングでのリリース。<br />
<br />
俺がAphex Twinを知ったのは、Ambient Works Vol.1が出て暫くしたくらい。多分最初に聴いたのは電気グルーヴのテクノ専門学校に入っていたDigeridooと、それから暫くしてPolygon Window名義のアルバム。ジャケの格好良さから欲しかったけどAmbient Worksは何故か当時買っていなくて、だけどこの辺はかなり好きだった。<br />
<br />
そんなタイミングでVol.2が出たので、2枚組と大ボリュームだったけど飛びついた。そしたらコレが、ジャケにはタイトルも載ってないしなんだかぼよーんとしたアンビエントばっかりで……凄く良かったのだ。キャンプ場で、バンガローの中で延々流してた記憶があるな。屋外にもとてもよくあった。<br />
<br />
で、(多分)その後出たのがシングルOn。コレのμ-ziqリミックスが最高に好きで。この時期は(ってか、今でも)これと、Aphex TwinがリミックスしたMeat Beat ManifestoのMindstream、それから同じくJesus JonesのZeroes and Onesのリミックス。この辺が俺にとって、いまだに彼のベストワークだ。<br />
<br />
だけどその後のシングル、Ventlinで俺はもう完全に離れちゃうのね。どうしてもあのサウンドが不快で。耐えられなくて、多分CD捨てたんじゃないかな。あんなに嫌な音楽は聴いたことがない。だからそれ以降、Aphex Twinは勿論、テクノからもかなり距離を置いてしまっていた。だから、それから20年近く彼の音楽は聴いていなかったことになる。<br />
<br />
長々と「俺とAphex Twin」を語ってしまったけど、久々に聴いた新譜は、こんなに遠ざかっていた俺にも解るほど見事にAphex Twinだった。テクノも20年もやってれば「往年のサウンド」って世界になるんだねえ。ネットでの評判もほぼ同様で、だけどみんなニコニコして特別に進化してない、俺達の知ってるリチャード・ジェイムズ君を大歓迎してる雰囲気なのが微笑ましい。やあ、久しぶりだねえ、元気だったかい?変わりないようで何よりだよ。悪気のありそうな音楽ばかり作っていたリチャードがそんな温かい迎えられ方をしている。まあ、良いコトじゃないか。Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/08923365297074708397noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6970463574026628112.post-432534194183407862015-02-08T18:43:00.001+09:002015-02-08T18:43:55.034+09:00ある嘘つきの物語 グレアム・チャップマン自伝<a href="http://3.bp.blogspot.com/-1o22Od5yTLE/VC0eq5iY8oI/AAAAAAAABVU/C4K7JvX-BpY/s1600/chapman_01.png" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="http://3.bp.blogspot.com/-1o22Od5yTLE/VC0eq5iY8oI/AAAAAAAABVU/C4K7JvX-BpY/s1600/chapman_01.png" /></a> 遡る。にわか映画ファン見習い時代の話だ。<br />
<br />
そもそもが産まれてから2011年までの40年間、映画館に行ったことが6回しか無いというのが半ば自慢のようになっていたのだけど、13年、「ウイングスを大画面で!」と言う想いからロックショウを(2回)、その後パシリムを(3回)観に行ったことで映画に慣れ始め、その年末、意識的に「映画に慣れよう」という想いを持ってゼロ・グラビティを観に行って、13年だけでそれまでの40年に並ぶ回数映画館に足を運んだ。<br />
<br />
それを踏まえて、14年も映画を見よう、という想いで色々物色したところで気になったのがちょうど再上映していた「ある嘘つきの物語」だった。グレアム・チャップマンの「死後に作られた自伝」映画で、勿論シネコンなんかでかかるわけなく、上映は渋谷のアップリンクのみ。映画初心者的にはちょっと「壁」感もあるミニシアター初体験だ。窓口でチケットを買うのに既に緊張している初心者は館内に入って「ちょっと広い普通の部屋にスクリーンと普通の椅子がいっぱいある」という風景に驚愕する。これがミニシアターか。<br />
<br />
以上、回想シーン。勿論閑話休題である。<br />
<br />
音声は本人の生前録ったナレーションをベースに恋人のデヴィッド・シャーロックをはじめパイソンズの面々(エリックは不参加)らが声優として参加、映像は複数の作家によるアニメーションを基本としていて、当時のアーカイヴ映像などは僅か。そういう資料的な意味のあるドキュメンタリーとして観るのは間違いだし、かといってパイソン的なコメディ映画とも少し違う。タイトル通り「嘘つきによる自伝」であり、自分の人生を赤裸々に語ってるんだけど赤裸々過ぎて嘘と本当の境界線がはっきりしない。でもそれを「ここは流石に嘘だな」とか思いながら観るでもなく、全てを「こういう作品」として受け止めるのが正解だと思う。パイソン映画で一番グルーヴ感が近いのは人生協奏曲かな……<br />
<a href="http://4.bp.blogspot.com/-_R2zPskw9OI/VC0eqg2gxXI/AAAAAAAABVM/ELUlOiH55nw/s1600/chapman_02.png" imageanchor="1" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" src="http://4.bp.blogspot.com/-_R2zPskw9OI/VC0eqg2gxXI/AAAAAAAABVM/ELUlOiH55nw/s1600/chapman_02.png" /></a><br />
<br />
いかんせん一月に観たっきりなので細かいコトは忘れてるんだけど、いちばん印象に残ったのがチャップマンのセックスに対する持論で「セックスとは2人以上で単に楽しむもの。但し生殖を目的としない場合に限る」というもの。なんというか、破天荒な意見の様で非常に納得のいく、というか共感できる内容だな、と、特にコレを観た頃は思ったんだよね。当然、これはチャップマンの発言だからここで言う「二人以上」は性別を問わないってのは言うまでもない。<br />
<br />
あと余談だけど、ちょっと前にゲイのパートナー関係とセックスに対する考え方(?)について教えてもらったんだけど、この映画でもチャップマンがシャーロックとの愛情を持ち続けながらも不特定の男女と関係を持ち続ける描写があって、その辺ががようやく少〜しだけ理解できたような気がする(話聞いた時はこの映画のコトは思い出さなかったんだけどね)。Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/08923365297074708397noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6970463574026628112.post-20552020589673070082015-02-08T18:43:00.000+09:002015-02-08T18:43:14.656+09:00ファイア by ルブタン / 聖者たちの食卓<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="http://2.bp.blogspot.com/-fP0hrinJI-w/VETUM3ksMMI/AAAAAAAABY4/MKWdFy38PKc/s1600/louboutin.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="http://2.bp.blogspot.com/-fP0hrinJI-w/VETUM3ksMMI/AAAAAAAABY4/MKWdFy38PKc/s1600/louboutin.jpg" /></a></div>
<span style="font-family: Arial; font-size: 13px; font-stretch: normal;"> なんか行きがかり上今年観た映画のレビューを殆ど書いてしまったので、あまり書くことが無かった作品についても書いてみる。</span><span style="font-family: Arial; font-size: 13px; font-stretch: normal;"><br /></span><br />
<span style="font-family: Arial; font-size: 13px; font-stretch: normal;"><br /></span>
<span style="font-family: Arial; font-size: 13px; font-stretch: normal;"> 恥ずかしながらルブタンの靴については全然知らず、以前画像を見て「DWのペダルみたいだ」とか言ってしまった程度の知識なんだけど、脚フェチの俺なので「ファイア by ルブタン」を観に行ってみた。 パリのクレイジーホース(ニール・ヤングは参加していない)という、高級ストリップクラブ的なところでフランシス・ルブタンの靴をテーマにしたショウを行い、それを映像化したもの。合間にルブタンのインタビューが挟まる以外は全編がヌードダンサーによるショウだ。 </span><br />
<span style="font-family: Arial; font-size: 13px; font-stretch: normal;"><br /></span>
<span style="font-family: Arial; font-size: 13px; font-stretch: normal;"> まあ、正直に言えばエロいものを期待してはいましたよ。ポスターにも写る尻から脚の美しさは期待を抱かせるに充分だし、アート性が高いのは解ってはいても、やっぱストリップじゃん。基本ヌードなワケだから、むしろエロいのを期待しない方が失礼じゃん?</span><br />
<span style="font-family: Arial; font-size: 13px; font-stretch: normal;"><br /></span>
<span style="font-family: Arial; font-size: 13px; font-stretch: normal;"> ところがね、コレ、カッコつけで言ってるように見えるのは覚悟で書くけどさ、コレが全然エロくないのですよ。えっとねえ、エロティックではあるけどエロくない、ってニュアンスで通じるでしょうか。うん、こう言ってしまうと陳腐過ぎるけど、圧倒的にアーティスティックだったしね、まず動きとか完成度が高すぎて、劣情が入り込む隙が無いのもホントだし、それ以上にダンサーたちの美しさがね。動き以上に、身体の完成度が高すぎて。綺麗すぎて。例えば美術館でヌードの絵画や写真見ても興奮しないじゃん?(する人もいるとは思うけど)もう完全にその世界に入っちゃってるのね。「エロティックではある」と書いたのも本当で、決して健康的な美ではなくて妖艶さは充分にあった。セクシャルな動作だって当然織り込まれていて、だけどそこに欲情出来る種類のもではなかった。 </span><br />
<span style="font-family: Arial; font-size: 13px; font-stretch: normal;"><br /></span>
<span style="font-family: Arial; font-size: 13px; font-stretch: normal;"> それにしてもダンサーたちの並んだ時の揃いっぷり。動きが揃ってるのはもう当然で、背格好、プロポーションがほぼ同じってのが凄い。綺麗でエロティックな女性ならクレイジーホースに入れるわけじゃないんだよ。身長は169cmで、見た感じおっぱいの大きさには差はあったようだけどなんかバストトップの位置には規定があるとのことで、ってコトは当然だろうけどプロポーションは絶対維持、ってコトだろうし。すげえなー、と、男の身ではコレしか言いようがねえよな。 </span>
<br />
<span style="font-family: Arial; font-size: 13px; font-stretch: normal;"><br /></span>
<span style="font-family: Arial; font-size: 13px; font-stretch: normal;"> 一緒に扱うと怒られそうな組み合わせだけど。</span><br />
<span style="font-family: Arial; font-size: 13px; font-stretch: normal;"><br /></span>
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="http://1.bp.blogspot.com/-Jqa_3A2CRSo/VETVW_trwXI/AAAAAAAABZE/XpPtemvVWTQ/s1600/himselfhecooks.jpg" imageanchor="1" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" src="http://1.bp.blogspot.com/-Jqa_3A2CRSo/VETVW_trwXI/AAAAAAAABZE/XpPtemvVWTQ/s1600/himselfhecooks.jpg" /></a></div>
<span style="font-family: Arial; font-size: 13px; font-stretch: normal;"> </span><span style="font-family: Arial; font-size: x-small;">インドの寺院の巨大無料食堂を映した「聖者たちの食卓」は最近観た。</span><br />
<span style="font-family: Arial; font-size: x-small;"><br /></span>
<span style="font-family: Arial; font-size: x-small;"> 特にナレーションも無く、起こっていることを淡々と撮る、というスタイルは「ローマ環状線」や「リヴァイアサン」とも共通しているけど、あまりストイックな映像ではないし、また、被写体が平気でカメラを意識する、って言うのが大きな違い。コレ、思った以上に印象に影響を与える。インド人たち、やたらにカメラを覗き込むんだけど、それがなんか映画そのものに人懐っこい雰囲気を与えているのね。だから、挙げた二本に比べて無機的だったり、冷ややかだったりする印象は無い。</span><br />
<span style="font-family: Arial; font-size: x-small;"><br /></span>
<span style="font-family: Arial; font-size: x-small;"> まあ、映画そのものはあまり引っ掛かりも無く(というか引っ掛かりようも無い)、色々と「へぇ—」とか「すげーなー」と思うシーンこそ多々あるがだからどうということもなく、感情にも感覚にも特に訴えず、でもまあそれなりに居心地はいい、という感じ。60分チョイなので、退屈もしないしなんとなく時間がある時ぼんやり眺めるには良い感じ。</span><br />
<span style="font-family: Arial; font-size: x-small;"><br /></span>
<span style="font-family: Arial; font-size: x-small;"> 個人的ポイントは音楽。っても、環境音が殆どで、時折殆ど気にならないレベルで音楽が入ってくる。音楽、と言うか、まあ勿論音楽なんだけど、これが全編タブラのソロなのね。で、気にならないと書いたのもワケがあって、環境音的な演奏をしている、と言うか、コレねえ、多分フィルムを観ながら監督の指示で必要な場所で即興演奏をしたんだと思うんだよね。で、演奏が見事に映像に溶け込んでるの。明らかに動作に合わせて演奏してる箇所も多々ある。ナンをひっくり返すタイミングでタブラが「ティン!」って鳴ったりとかね。ソレ観てるだけでも楽しかった。</span>Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/08923365297074708397noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6970463574026628112.post-61845707711821804402015-02-08T18:42:00.001+09:002015-02-08T18:42:47.306+09:00ゼロ・グラビティ<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="http://1.bp.blogspot.com/-nf4VAat3pck/VETXdCz2BSI/AAAAAAAABZY/gXCy60UB2Ok/s1600/gravity.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="http://1.bp.blogspot.com/-nf4VAat3pck/VETXdCz2BSI/AAAAAAAABZY/gXCy60UB2Ok/s1600/gravity.jpg" /></a></div>
突然遡って去年観た映画を紹介する。<br />
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映画初心者の俺が、映画に慣れるべく興味の度合いと、なにより上映時間を基準にして選択したのが当時話題だったゼロ・グラビティだった。あんまり深いテーマも無さそうだったし、とにかく映像に浸る映画なのかな、と思って観に行ったのだけど。<br />
<br />
まあ確かに、この映画の観るべきところは映像だった。そりゃね、後に色々、その筋のプロからは突っ込みが入っていたようだけど、それはいいじゃない。映画なんだから、映像的に「魅せる」為にはある程度のリアリティや考証は犠牲にされて当然だ。リアルな映像を作った結果退屈な内容になったら何の意味も無いのが「映画」であってそれはドキュメンタリーにも適用されると思っている。リアルだけ求めたければ一生ニュースだけ見てなさい(こればっかりだな)。<br />
<br />
例によって例のごとく閑話休題。まあ俺のブログそのものが閑話という話もあるがそれは置いておこう。<br />
<br />
CGにしたってどうやって撮ったんだコレ、みたいな映像が続出する凄い映像には勿論息を呑む。特に3Dだと凄過ぎて、ああこれは90分が限界だな、と思わされた。疲れちゃうんだよ。コレで120分以上見せられたらぐったりしてしまう。スペースデブリがこっちに飛んでくるシーンとか、恥ずかしながら一瞬目ぇつぶったしな(笑)まあコレは、パシリムやゴジラ以上に3Dで正解だった。IMAXで観たらもっと凄かっただろうな、って思うけどね。自分が宇宙空間に存在する目線になったのかな?<br />
<br />
決してストーリーが無い映画ではない。というか、予想以上に深い内容だったと思う。散々言われる「ゼロ」じゃなくて「グラビティ」(原題:Gravity)なのだ、という話は置くとしても。<br />
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<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="http://3.bp.blogspot.com/-sIFw7339wdI/VETYI8W9I-I/AAAAAAAABZg/1oIHaYN-zAE/s1600/gravity02.jpg" imageanchor="1" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" src="http://3.bp.blogspot.com/-sIFw7339wdI/VETYI8W9I-I/AAAAAAAABZg/1oIHaYN-zAE/s1600/gravity02.jpg" /></a></div>
ライアンとマットが助け合って生還して、その過程で愛が芽生えて……的なストーリーが一般的に期待されるそれだろうし、実際前半ではそういう展開を想起させる流れが出来ていく。が、マットは中盤で、ライアンを助けるための犠牲となる。マットの死は描写されず、というか恐らく劇中の時間レベルでは彼は宇宙に放り出されたまま生き続けていることが予想され、その孤独かつじわじわ迫る酸欠による死を想像するだけでもこっちは辛い気持ちになる。デブリに顔面を貫かれて(死体とその扱いの描写がリアルかつクールでしかも怖い)即死したもう一人のクルーの方がある意味では幸せだったのかもなあ、などと思ってしまうのも人情というもの。<br />
<br />
ライアンはマットを失って、その後も数々のトラブルに見舞われて自暴自棄になったりもするのだけど、地球の一般人による無線通信(言語さえ通じない)と、酸欠状態で見たマットの幻影との対話を経て「生きる」ということを見直すようになる。「亡くした娘と再会する」「マットを失って一人で帰還する意味は?」というレベルを超えて、「生きるために一人で帰還する」という意識へ。<br />
<br />
これを社会の荒波を乗り越えて一人で生きていく女性の姿を描いた、と言ってしまうと短絡的で陳腐過ぎるんだけど、ってーか言いたいニュアンスは全然違って。色々なものを失って、心を通じ合わせかけたマットさえ失ったにもかかわらず最後に「最高の旅だった」というのは奥が深すぎる。誰かの為でもない、誰かと共にでもない、自分が自分の為に一人で生きることに喜びを感じている。一人で生きることに対する決意と希望、喜び。所謂「自立した女性」的なアレとは違うんだよ。うん、なんていうかなー、難しいけど。通じて欲しいな。Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/08923365297074708397noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6970463574026628112.post-92018419482315175642015-02-08T18:42:00.000+09:002015-02-08T18:42:05.167+09:00不機嫌なママにメルシィ!<a href="http://1.bp.blogspot.com/-7rRXVmePcNU/VFs7HNmCV7I/AAAAAAAABeg/t5vMMk83heU/s1600/guillaume_01.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="http://1.bp.blogspot.com/-7rRXVmePcNU/VFs7HNmCV7I/AAAAAAAABeg/t5vMMk83heU/s1600/guillaume_01.jpg" /></a> 前日に重量感のある(思ったより重くは無かったけど)「ニンフォマニアック」を観て、翌日に「映画の日」を利用して軽めの「365日のシンプルライフ」と「不機嫌なママにメルシィ」を観ると言う流れはなかなか良かった。個人的に少し気持ちに重いものを抱えてる時期だったから、僅かに軽減させる効果もあったしね。<br />
<br />
主演、監督、脚本のギヨーム・ガリエンヌの自伝的内容。幼少のころから(おそらく成人して)恋人と出会い結婚を決意するまでを描く。ガリエンヌは母親と自分自身を二役で演じる、というところは基礎知識。元々舞台だったものを映画化したもので、随所に(狂言回し的に)舞台のシーンも登場する。<br />
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たまたま前日観たニンフォマニアックも、主人公の幼少時から現在まで登場し、また、シャルロット・ゲンズブール(71年生)とガリエンヌ(72年生)が同年代(ついでに言えば、俺も)なんだけど、ニンフォマニアックの方が主人公を子役、若いころ、現在の3人で演じてるのに対し、こっちはコメディというコトもあり幼少時から全てガリエンヌ自身が演じる。だから40のおっさんが高校生くらいの子供に、高校生役で混じることになり、女性を演じるよりこっちの方がインパクトが強い、ってのが変な面白さ。女性役は上手過ぎて違和感無いんだよ。<br />
<br />
<a href="http://2.bp.blogspot.com/-kndjEsWgBAk/VFs7HQBsXRI/AAAAAAAABeY/WWfJT-effZg/s1600/guillaume_02.jpg" imageanchor="1" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" src="http://2.bp.blogspot.com/-kndjEsWgBAk/VFs7HQBsXRI/AAAAAAAABeY/WWfJT-effZg/s1600/guillaume_02.jpg" /></a> 舞台のシーンは現在の「男性」であるガリエンヌ、加えて「女性」の母親役と、「なよなよした男の子」である若いころの自身、という演じ分けが凄い。 劇中にも、母親や他の女性のたち振る舞いを観察して、徹底的に真似したという描写があるけど、あれは恐らく本当なんだろうな。だから彼が演じる母親は、「男性俳優が演じる女性」というギャグではなくて、「母親=女性」として登場する。だから母親はオカマには見えない。だったら何故普通に女性に演じさせなかったのかというと、少なくとも幼少時のガリエンヌは母親の「移し身」として存在していて、その描写として母と自分は同一人物が演じる必要があった。それは母が潜在的に望んだことであり、ガリエンヌがそれに無意識的に応えようとした結果であることが解る終盤のシーンの後、舞台のシーンに戻るとガリエンヌの独演を見守る母親役が「本物の女性(もしかして、本当に母親か?)」になっていることではっきりする。<br />
<br />
ネットで見た評のひとつに「最後ゲイじゃなくて良かったという結論として描かれている」とあったんだけど、それは違うんじゃないか、と思った。まず、ガリエンヌ自身は自分のことをゲイだと思ってはいなかった、というところが重要。この辺は結構複雑なんだけど。<br />
<br />
ガリエンヌの自己認識は「自分は女の子であって、大好きな母親みたいになりたい」というところから始まっている。とはいえ、自身が肉体的に男性であることも理解はしている。しかし、所謂GIDとも違って、肉体と精神のギャップに悩んでいるというより「自分が女の子らしいと母親が喜ぶ」という認識から、半ば無意識にそうたち振舞っている。<br />
<br />
<a href="http://4.bp.blogspot.com/-2RkKqPO6tJg/VFs7HQCoQLI/AAAAAAAABec/OZhtcOWkgaE/s1600/guillaume_03.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="http://4.bp.blogspot.com/-2RkKqPO6tJg/VFs7HQCoQLI/AAAAAAAABec/OZhtcOWkgaE/s1600/guillaume_03.jpg" /></a> 序盤、フラメンコの自分の踊りが女性の踊り方だと指摘されるシーンで「女の子に見えるならママが喜ぶ」って言うんだけど、実はこのセリフがラストで重要になってくるのね。前述したとおり、ラストで「自分を手放したくなかった+女の子が欲しかった母親の溺愛が自分をこう育て、自分もそれに応えようとした」と解るシーンに直結するセリフなんだな。<br />
<br />
そこの思い込みの強さが「女の子であろうと言う意思によって女の子でいる男性」というポジションを作りだす。若いころのガリエンヌは男性に恋するんだけど、それは「自分は女の子だから男の子に恋する」というある種のパターン認識である節が強い。だから、同級生に「オカマ」と呼ばれるのは否定するんだけど、母親に「ゲイだ」と言われてしまうと急にハッテン場に出かけてみたり、カウンセリングを受けたりする。それは「ママが言うならゲイなのかもしれない」という想いと「ママが欲しかったのはゲイではなくて女の子である僕」という思いが交錯したものだったんじゃないかと思う。<br />
<br />
だから、最後に彼が喜んでいるのは決して「ゲイでなくてストレートである僕」ではなくて「自分の本来の姿を見出したこと」に対するものなのね。だから逆に、色々あって自分がゲイであることがはっきりしていたとしたらそれはそれで堂々と母親に宣言して、それを喜ぶラストになってた筈なんだよ。「自分探し」って言い方をすると陳腐になっちゃうんだけど。Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/08923365297074708397noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6970463574026628112.post-29232359762749738062015-02-08T18:41:00.000+09:002015-02-08T18:41:45.385+09:00SHIFT~恋よりも強いミカタ<a href="http://2.bp.blogspot.com/-HEZRVib6zq0/VFTYZHPzywI/AAAAAAAABbc/1aakrc58l-Y/s1600/shift_01.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="http://2.bp.blogspot.com/-HEZRVib6zq0/VFTYZHPzywI/AAAAAAAABbc/1aakrc58l-Y/s1600/shift_01.jpg" /></a> 都内でレイトショーは敷居が高い。ついでがあったので何とか観れたけど、しかし21時過ぎからの回で1800円なのかよシネマカリテ。まあ良い。観たい映画には金を払うものであろう。ん?俺ってそんな意識持っていたっけな?<br />
<br />
余談はともかく、モテないことには定評があり、しかも高校時代からずっとなんだけど惚れて告白して振られた女の子と仲良くなってしまうという楽しいながらも難儀な特性を持つ俺にとってはなんとなく観ておくべきなんじゃないか、という気がしたのだ。<br />
<br />
主人公のエステラはライヴハウスで歌うシンガーソングライターで、アマチュアの写真家で、文章も書き、委託業者でどうやら非正規雇用。映画のストーリーは、仕事でパートナーになったゲイの男性と友情を深めてるうちに彼に恋心を抱くようになり……というもの。ライヴハウスに出たりするドラマーであり、アマチュアレベルにも達さないものの絵を描き、非正規雇用の派遣社員で、しかも上記のような性質を持つ俺としては、性別は違うけどなんとなくこの子に共感するのではないかな、と思ったわけだね。<br />
<br />
フィリピンっていう国の制度が同性愛者にとって暮らしやすいものになっているのかどうかは知らない(*)。主人公が勤める会社の、(少なくとも)彼女の所属するチームはリーダーからしてゲイで、他のメンバーにも複数の同性愛者がいて、それを他の仲間も普通に受け入れている描写。映画の中では同性愛は終始普通のこととして描かれ、決して「セクシャルマイノリティ」として描写していないことが印象的だった。社内だけでなく、外でもオープンだし、他者もそれに干渉したり、奇異の目で見る描写は無い。<br />
<br />
<a href="http://4.bp.blogspot.com/-II9eJLCle5o/VFTYZJdwOYI/AAAAAAAABbY/I8h8S4QxU3Y/s1600/shift_02.jpg" imageanchor="1" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" src="http://4.bp.blogspot.com/-II9eJLCle5o/VFTYZJdwOYI/AAAAAAAABbY/I8h8S4QxU3Y/s1600/shift_02.jpg" /></a> 主人公が惹かれてしまう相手、トレヴァーは交際相手もいるゲイ。ただ、相手とは上手くいっていない。トレヴァーはエステラをあくまで親しい友人としてしか見ない。ただ、親しいのレベルが高いから惚れちゃってる側からすると解っていてもデート気分で浮かれるんだよね。で、ところどころで現実が垣間見えると軽く落ち込んだりも、する。それは痛いほどわかる。<br />
<br />
ただ、エステラはそのストレスに耐えきれないんだな。割り切って友人としてつきあって「恋人になれないのは残念だけどまあ、コレはコレで楽しいからいいかぁ」って心境に持って行くにはまだまだ若い。俺自身は能天気な部分も多いからコレで乗り切っちゃうし(若いころからだけどね、俺は)、その楽しさを享受できる。だから観ていて「ああ、そこがストレスになっちゃうんだよなあ」とは思ったんだけど、まあ俺の場合同性愛者に惚れたコトは無いから、その壁は解らないんだよな。<br />
<br />
それで、エステラが冷たく当たるようになってトレヴァーは理解できなくて、メールにも返事貰えないことに対しこっちも困惑しまくって、不安でぐちゃぐちゃになって、まあ、俺もこっちの気分もよ〜く解るんだけど(笑)、だとしてもトレヴァーは別にエステラに恋してしまったわけではなく、大切な友達の態度が変わってしまったことに困惑しているだけなんだよね。ただこの辺の描写がちょっとトレヴァーの気持ちがエステラへの恋に動いてしまっているように見えて、観てる側としては「それじゃあ台無しだろう」って思ったんだけど。まあ、ラストまで観ると違うと解る。ちょっと描き方がなー、って部分かな。<br />
<br />
<a href="http://2.bp.blogspot.com/-XrmH35rj7VI/VFTYZMa5TGI/AAAAAAAABbU/aGeIsWf5OP4/s1600/shift_03.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="http://2.bp.blogspot.com/-XrmH35rj7VI/VFTYZMa5TGI/AAAAAAAABbU/aGeIsWf5OP4/s1600/shift_03.jpg" /></a> 余談だけど、連絡付かない不安で死にそうになってるときの表情と、さらっとメールが届いた時の安堵の表情、自分と完全一致していて笑った。<br />
<br />
終盤、一旦お互いのスタンスに納得したように見えたエステラが結局「友達じゃ嫌だ」になってしまう流れは残念。そしてラスト、転職先の面接に貼りついたような作り笑いで挑むエステラ。「五年後の自分は?」との質問に絶句したままエンドロール。<br />
<br />
この手の映画は若者の内面の(ちょっとした)成長を描くものが多い印象だけど、この終盤の流れからエステラの成長は見て取れなかった。結局どこにも進んでないし、何も理解してないエステラ。フランシスやジルミルやイーダのように、ちょっと(または大きく)前に進んだエステラの姿はそこからは見えない。五年後も満足のいかない職場で、不毛な恋をしていそうだな、っていう……<br />
<br />
<span style="font-size: x-small;">*…ちょっと調べたら<a href="http://yoshi-jpn.com/1074/" target="_blank">フィリピンには同性愛者が多い</a>というのは事実のようだった。ただ、カトリック教国であるが故に制度と社会の状況は必ずしも一致していない模様。「そして同性愛者の方は、そうした芸術面だけでなく、コールセンターで働く多くの人達もおり」という一文が目を引く。</span>Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/08923365297074708397noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6970463574026628112.post-13854373928497291432015-02-07T18:21:00.000+09:002015-02-07T18:21:10.495+09:00DISCO1990への道<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="http://2.bp.blogspot.com/-xCExVSoheD8/VNXXkK2tIPI/AAAAAAAABhg/9zS6uULERdA/s1600/disco1990logo01.png" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="http://2.bp.blogspot.com/-xCExVSoheD8/VNXXkK2tIPI/AAAAAAAABhg/9zS6uULERdA/s1600/disco1990logo01.png" /></a></div>
<div class="p1">
そもそものことの始まりは<span class="s1">……</span>と言えるほど切っ掛けは覚えていない。ただ、ある時期から漠然と「<span class="s1">90's</span>イベントを俺主宰で立ち上げよう」という気持ちは持っていた。おそらくは「<span class="s1">91</span>年病再発」の時期からじわじわと。</div>
<div class="p2">
<br /></div>
<div class="p1">
病気再発の切っ掛けは何度も書いているが<span class="s1">11</span>年のソニックマニアだった。奇しくも(ってコトもねえか)<span class="s1">91</span>年から丁度<span class="s1">20</span>年。<span class="s1">Primal Scream</span>が<span class="s1">Screamadelica</span>再現ライヴをやるというので観に行ったのだけど、それ以上にその後の自分に影響を与えたのが<span class="s1">808 State</span>の<span class="s1">DJ</span>だった。ここでの多幸感が現在まで繋がっている。</div>
<div class="p2">
<br /></div>
<div class="p3">
<span class="s2"> それ以降、</span>Jesus Jones<span class="s2">、大磯ハシエンダでの</span>808<span class="s2">のライヴ(残念ながら</span>Happy Mondays<span class="s2">は来日中止だった)、</span>13<span class="s2">年ソニックマニアの</span>Stone Roses<span class="s2">と国際フォーラムの</span>My Bloody Valentine……</div>
<div class="p2">
<br /></div>
<div class="p1">
加えて、この頃から渋谷RootsのLantern(テクノのイベント)に毎回顔を出す(DJでなく、客としてね)ようになったり、高円寺グリーンアップルでやってるフリーDJイベント(別名音楽愛好会)サウンドアップルで自分でもレコードを回すようになって、徐々に「俺が楽しいイベントをやりたい」という気持ちが強まっていった。</div>
<div class="p2">
<br /></div>
<div class="p1">
元々はLanternで知り合った人を中心に、同世代で固める方針で<span class="s1">DJ</span>を集めようと思っていたのだけど、いかんせん俺には行動力もノウハウもない。顔も広くない。どうしたもんかな、と思ったまま<span class="s1">2</span>年近くがダラダラ過ぎた。ってコトはやっぱ<span class="s1">12</span>年頃から考えてたんだな。</div>
<div class="p2">
<br /></div>
<div class="p1">
ここまで全部前置き。ものごとはある日急激に動き出す。<span class="s1">14</span>年の末、高円寺グリーンアップルでやっていたイベント「マンテナイト80'sスペシャル Vol.2」、ここから全ては始まった。</div>
<div class="p1">
<br /></div>
<div class="p1">
このイベントは俺も(比較的ちゃんと)DJとして呼ばれていたんだけど、自分の<span class="s1">出番</span>を終えてフロアで踊っていた。ちょうど<span class="s1">Cure</span>がかかっていたときかな?なんか盛り上がっていたら隣で踊っていた女性に話しかけられた。出番前にも少しだけ会話した人だ。</div>
<div class="p1">
<br /></div>
<div class="p1">
「普段はどういうのかけてるんですか?」「<span class="s1">90</span>年代あたりがメインですね」「えっ!実は<span class="s1">90's</span>イベントをやりたいと思っていたんですけど<span class="s1">……</span>」「ええっ!実は俺も全く同じこと考えてて<span class="s1">……</span>シンカイさーん!!」あっという間に話は盛り上がり、場は<span class="s1">80's</span>サウンドだが心は<span class="s1">10</span>年先に飛んでいた俺たちだ。この女性こそ<span class="s1">DJ pulp</span>、場馴れして人脈もハコとのパイプも充分に持った人物との出会いが俺の野望を一気に加速する。というより、加速した勢いで彼女の野望に乗っかって更にもう二人(<span class="s1">Shink@i & Kico</span>)巻き込んで暴走を開始した、という表現の方が近い。</div>
<div class="p2">
<br /></div>
<div class="p1">
その夜はイベント終了後も<span class="s1">90's</span>音楽に強い高円寺のバー<span class="s1">Octover</span>からの<span class="s1">80</span>~<span class="s1">90's</span>縛りカラオケという「アフターパーティ」が朝まで続き、初対面の<span class="s1">pulp</span>とも<span class="s1">3</span>人ともあっという間に仲良くなり、イベント開催に向けて動き出す。</div>
<div class="p2">
<br /></div>
<div class="p1">
さて、年も明けて<span class="s1">15</span>年、いや、もはや俺の感覚では<span class="s1">1991</span>年と言ってもいいし、<span class="s1">pulp</span>の感覚では<span class="s1">1995</span>年かもしれない。ともあれ、新年を迎え企画は更に具体化する。フルメンバーでの打ち合わせの前に発起人チームと言うコトで(?)俺と<span class="s1">pulp</span>で色々話し合ったのだけど、その時に「<span class="s1">2</span>月には開催したい」との意向を聞いて驚く。俺は「春にはスタートできるかな」と長い目で見ていたのだけど、彼女は思った以上に動きが早かった。心の準備が<span class="s1">……</span>とか言う気持ちより楽しみな想いの方が強い。俺は早くできるならそれに越したことは無い。ほどなく<span class="s1">Sink@i</span>、<span class="s1">Kico</span>からの<span class="s1">Go</span>サインが出て、<span class="s1">2</span>月開催で調整を開始する。</div>
<div class="p2">
<br /></div>
<div class="p1">
善は急げ、とは言ってもここまで決まったのが既に<span class="s1">1</span>月半ば。すぐに会場(渋谷Edge End)を押さえたところ日取りは<span class="s1">2/21</span>に決定。早速イベント名の検討にとりかかる。<span class="s1">Lipgloss, 8 Legged Groove Machine</span>、元祖<span class="s1">Wake Up Boo</span>伝説、<span class="s1">(Brit)Pop is Dead</span>などの案が出たが、最終的には<span class="s1">pulp</span>が上京前にやっていたイベント名<span class="s1">DISCO2000</span>を引き継ぎ、<span class="s1">Kico</span>案で時代感をプラスした<span class="s1">DISCO1990</span>に決定。すぐに俺はフライヤーのデザインに取り掛かり、全員の承認を得て情報解禁出来たのが<span class="s1">1/27</span>深夜というなかなかの突貫工事ぶり。イベントまで<span class="s1">4</span>週間を切っている。</div>
<div class="p2">
<br /></div>
<div class="p1">
ともあれ、無事イベントはスタートを切ることができそうだ。あとは全員が健康に当日を迎えるだけ。そんなわけで<span class="s1">……</span></div>
<div class="p2">
<br /></div>
<div class="p3">
<a href="http://2.bp.blogspot.com/-QMvI6L0BloM/VNXX2V_NvhI/AAAAAAAABho/XEPJOAQdqDo/s1600/disco1990w.png" imageanchor="1" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" src="http://2.bp.blogspot.com/-QMvI6L0BloM/VNXX2V_NvhI/AAAAAAAABho/XEPJOAQdqDo/s1600/disco1990w.png" height="225" width="320" /></a><span class="s2"> </span><a href="https://www.facebook.com/events/986034408092383/?ref_dashboard_filter=upcoming" target="_blank">DISCO1990 Vol.1</a></div>
<div class="p3">
<span class="s2"> </span>2015/2/21(<span class="s2">土</span>) 18:00<span class="s2">~</span>22:00</div>
<div class="p3">
<span class="s2"> <a href="http://www.edgeend.com/" target="_blank">渋谷</a></span><a href="http://www.edgeend.com/" target="_blank">Edge End</a></div>
<div class="p3">
<span class="s2"> チャージ¥</span>800 w/1 drink</div>
<div class="p3">
<span class="s2"> </span>DJ<span class="s2">s</span></div>
<div class="p3">
<span class="s2"> </span>pulp</div>
<div class="p3">
<span class="s2"> </span>Doka</div>
<div class="p3">
<span class="s2"> </span>Kico<br />
<span class="s2"> </span>Shink@i</div>
<div class="p2">
<br /></div>
<br />
<div class="p1">
ベタベタの<span class="s1">90's</span>ヒットが堪能できる夜になるでしょう。皆さんぜひ来てくださいな。楽しいよ。</div>
Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/08923365297074708397noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6970463574026628112.post-20368665535375850992014-11-20T20:19:00.001+09:002014-11-20T20:19:36.826+09:00T.Rex 何度も強調しているけど、俺はバンドとしてのT.レックスが好きなのであって、マーク・ボランのファンというわけではない。勿論マークは大好きだけど、世間一般のイメージ、つまりT.レックス=マーク・ボランとは捉えていない。あくまで俺はバンドが好きなのだ。時代によって2〜5人編成になるけど、マーク以外のメンバーは決してサポートではなくて、彼らはバンドだったと思っている。勿論、俺が一番好きなのは黄金期の4人。マーク、ミッキー・フィン、スティーヴ・カーリー、ビル・リジェンドの時代だ。<br />
<br />
<a href="http://1.bp.blogspot.com/-YUBdnhCrVwQ/VFTgG1C4ojI/AAAAAAAABco/pMcLj-gt3_k/s1600/trex_mickeyfinn.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="http://1.bp.blogspot.com/-YUBdnhCrVwQ/VFTgG1C4ojI/AAAAAAAABco/pMcLj-gt3_k/s1600/trex_mickeyfinn.jpg" /></a><br />
ミッキーは、スティーヴ・ぺリグリン・トゥックの後任としてティラノサウルス・レックスに加入。多彩なマルチプレイヤーだったトゥックと違って、基本的には絵描きであり、パーカッションプレイヤーでさえもなかった。トゥックの後任だから初期の写真などではパーカッション以外にもドラムやベースを演奏しているものもあるけど、勿論パーカッション以上に素人。論外、というレベルの演奏をしているところはBBCセッションの音源などで少し聴くことが出来る。<br />
<br />
彼はいったいバンドに於いて何をしていたのか。メイン楽器であるコンガは賑やかしレベルでぼこぼこ打ち鳴らすだけ。ヒール&トゥとかオープン、クローズとか、基本的奏法を学んだりもしてないんじゃないかな。スラップっぽいての動きを時折見かけるけど、サウンドはオープンとあまり変わらない。いや、あんまり音量上げてもらえないからそんなちゃんと聴きとれないのも事実だけど。<br />
<br />
そう、彼の音はフィーチャーされない。ステージでは基本的に全曲で芸の無いプレイを聴かせているが、会場によってまちまちであるものの総じて音量は低めのミックスだ。時々コーラスもしているけどちゃんとハモっていう気配も無いし、こちらも(スティーヴ・カーリー共々)音は小さめだ。そして、スタジオ盤ではもっと悲惨で、全くミッキーの音が聞こえない楽曲がしばしば、いや、むしろ大半だと言ってもいい。特に後期に於いてレコーディングはされたがミックスで消されたり、ほかのプレイヤーの(まともな)演奏に差し替えられたりもしたという。<br />
<br />
それでもミッキーはT.レックスのナンバー2であり、マークのパートナーだった。彼の存在感はマーク以上に「グラムロック」を体現していたし、何もしない、ある意味お荷物でさえもあったがマークの精神的支えの一人でもあった(その辺の具体例を示す資料は少ないが、「そうだった」という証言はしばしば聞く)。Zink Alloy〜Zip Gunの時期、マークの迷走とミッキーの不調→脱退が重なるのは偶然ではないのかもしれない。そして、同時期に表れたグロリア・ジョーンズがミッキーに代わりマークを支えていくことになる。<br />
<a href="http://2.bp.blogspot.com/-Fse4Sl1wp7k/VFTgG0BEHTI/AAAAAAAABcg/zis3iRXkI-o/s1600/trex_stevecurrie.jpg" imageanchor="1" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" src="http://2.bp.blogspot.com/-Fse4Sl1wp7k/VFTgG0BEHTI/AAAAAAAABcg/zis3iRXkI-o/s1600/trex_stevecurrie.jpg" /></a><br />
<br />
T.レックスの1stはマークとミッキー(+トニー・ヴィスコンティ)で作られたが、バンド化を図るにあたってまずベーシストが迎えられた。スティーヴ・カーリーを加えた3人での演奏はやはり初期のBBCセッションや、ビート・クラブの映像などでも聴くことが出来る。<br />
<br />
カーリーは良くも悪くも普通の人だった。演奏はそこそこ手数が多くて微妙にテクニカルにも聞こえるけどまあ中の上、まで行くかな?って感じ。だけどメロディアスで印象的なラインを弾くので、結構曲のアクセントとして機能している。マークが細かいフレーズまでサジェスチョンしたとは思えないから、この辺はカーリーのセンスだろう。ビート・クラブでのJewel終盤のアドリブソロは特に印象的。ってか、アレで俺はカーリーのファンになった。<br />
<br />
スティーヴ・カーリーの中庸さはステージで活躍する。他のメンバーの不安定さを彼の堅実さが支える、ところまで行かない程度に下手なのがT.レックスのステージにおける醍醐味だ。マークはわが道を行き暴走気味、適応能力の無いリジェンドはあたふたとおいてきぼり寸前になりながら追いかける。勿論ミッキーは一切あてにもならないし役にも立たない。そんなバラバラのバンドを中庸で安定したベースプレイで繋ぎとめようとする……のだが、バンドの崩壊速度に彼の能力ではとてもじゃないけど追いつかず繋ぎとめきれない、そこがいい。そして、その崩壊寸前状態にこそT.レックスのグルーヴがある。<br />
<br />
<a href="http://2.bp.blogspot.com/-AaxvflhSwZI/VFTgG2SRzVI/AAAAAAAABck/VqM1VYto078/s1600/trex_billlegend.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="http://2.bp.blogspot.com/-AaxvflhSwZI/VFTgG2SRzVI/AAAAAAAABck/VqM1VYto078/s1600/trex_billlegend.jpg" /></a> そんな頼りないドラマーのビル・リジェンドはカーリーより少し遅れて雇われた。彼のドタバタして少し不安定なリズムと、つんのめり気味に入ってもたり気味に出ていくタム回しは特徴的で、マークが前、カーリーが真ん中、リジェンドが後ろにいるような状態で生まれるグルーヴが初期のT.レックスを印象付けていると言っても過言ではない。<br />
<br />
リジェンドの頼りないイメージは主にテレビ出演時、口パク演奏の場で発揮される。そもそもT.レックスのレコーディングはあまり曲を覚える暇も無いままマーク主導でガンガン進められ、ドラムなんかは後からこうしたかった、とか色々あったような証言もあるのだけど、そんな事情もあり、彼は恐らくレコーディングで自分が叩いたフレーズをちゃんと記憶してないんだろうね。その結果、自分のプレイに合わせて当て振りをする状況になると彼は困ってしまう。それでもキース・ムーンやジンジャー・ベイカーみたいに、合わせる気なんか全然無しで堂々と出鱈目動けばまだいいものの、半端に真面目なもんだから、不安そうな表情で、中途半端な腕の振りで、自身無さげにバックの音に着いていくしかない。その姿はひたすら情けなく、頼りない。<br />
<br />
リジェンドは(オリジナル)T.レックス唯一の生き残りだ。マークは言うまでも無く77年に事故死、初代パーカッションのトゥックも80年に「さくらんぼの種をのどに詰まらせて」死去、カーリーも81年にポルトガルで客死、ミッキーも肝臓病で03年に亡くなっており、14年現在「Legend=伝説」の名を持つ彼が唯一、当時の伝説を語れる立場にいる。Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/08923365297074708397noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6970463574026628112.post-55960176687619680862014-11-19T20:28:00.000+09:002014-11-19T20:28:10.793+09:00Robert Plant / Lullaby and... The Ceaseless Roar Led Zeppelinが再結成されない影の主犯はジミー・ペイジだった、という衝撃の事実。<br />
<br />
<a href="http://3.bp.blogspot.com/-_ogHyoxV9gQ/VFdUwvnAHBI/AAAAAAAABdg/sazDW0rud3M/s1600/pageplant.jpg" imageanchor="1" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" src="http://3.bp.blogspot.com/-_ogHyoxV9gQ/VFdUwvnAHBI/AAAAAAAABdg/sazDW0rud3M/s1600/pageplant.jpg" /></a> プラントのソロを聴いていると、その傾向がPage & Plant前後で分けられるのは意外に簡単に気付く。Page Plant名義での1stではKashmirで確立した世界を更に広げたようなサウンドが展開されていた。思えばZep時代にも、ペイジとプラントはボンベイへの旅行中にFour SticksやFriendsを現地ミュージシャンと再録していて、それは言わば「第一期Page & Plant」と呼べるのかも知れない。ともあれ、アルバムはアジアや中東、加えてケルトの香りも纏ったサウンドでほぼ統一されていた。<br />
<br />
しかし、Page & Plantがバンドとして活動を続けることになり、ツアーを行っていくうちに状況は変化を見せる。録音時のメンバーをフルでツアーには連れて行けないし、同作はZepのリアレンジが主体だったため、新曲はあまりない。そうすると、勢いツアーは「Zepの曲をエレクトリックサウンドで演奏する」という部分が強くなっていく。それは、「再結成ではない」という言い訳の説得力を凄い勢いで落としていった、<br />
<br />
かくして、Zep再結成に成り下がったPage & Plantだったが、ここで行った音楽的経験は大きな刺激となる。「これを活かして、新しい音楽を」と思ったに違いない。Unleddedに参加していたメンバーを軸にして新バンド、Strange Sensationを結成する。このバンドはエレクトロニクスと、トラディショナルなアコースティック楽器を共存させたグループとなり、メンバーが様々な楽器を操りながらまさにPage & Plantで中途半端にフェイドアウトした世界観を発展させていた。結局プラントはこのバンド名義(メンバーチェンジあり)でアルバムを2枚作る。<br />
<br />
その後、Strange Sensationは一旦活動を停止し、パーシーはアリソン・クラウスとの活動や、何故か突然Band of Joy名義(再結成ではなく、完全な新バンド。Strange Sensationのメンバーは不参加)での活動を続けていたが、2012年以降はSensational Space Shifters名義で、ドラマーが代わったが事実上のStrange Sensation再結成(活動再開、と呼びたい)で活動を始めた。<br />
<a href="http://3.bp.blogspot.com/-AX1Q-Wim4H8/VFdUw_5zFFI/AAAAAAAABdk/8B_vT3BJ_Ss/s1600/plant_sss_lullaby.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="http://3.bp.blogspot.com/-AX1Q-Wim4H8/VFdUw_5zFFI/AAAAAAAABdk/8B_vT3BJ_Ss/s1600/plant_sss_lullaby.jpg" /></a><br />
で、最新作が今年出たので買ったのだけど、大傑作。説得力がもう全然違う。そりゃあ、Zepの再結成もなかなか凄かったのだけど、あれは説得力というか余裕の余興で、全力で「俺の音楽」という感じはなかった。<br />
<br />
今回のキーマンの一人として、アフリカのガンビアという国から来たJuldeh Camaraがいる。現地の民族楽器である1弦のフィドル(Rittiという楽器らしい)のプレイヤーである彼はSSSのメンバー、Justin AdamsとJuJuというバンドもやっていて、その人脈での参加のようで、Adamsもまた、複数の民族楽器をプレイする。<br />
<br />
こういった民族音楽の要素を完全にバンド内に取り込んで、以前より更に強化したのと同時に、ベースのBilly Fullerがプログラミングも担当していて、エレクトロニックな響きもアルバムには多々登場する。だから、全体にはアコースティックなんだけどどこか冷徹な空気も流れる、柔らかいバラードでも何処か硬質な雰囲気のある、不思議な感触のサウンドになっている。なんだか、神話の時代と21世紀が同時に来たみたいだ。勿論、この傾向はStrange Sensation時代から持っていた物なんだけど、アルバムが出る度に深化している印象がある。「俺の音楽」が強く、深くなってるのだ。<br />
<br />
余談だけど、こういうサウンドの傾向はベックとか、ザ・バード&ザ・ビー(イナラ・ジョージのグループ)とか、ダーニ・ハリスンの音楽とかにも感じていた。でも、年の功か、プラントのが一番しっくり来るな。<br />
<br />
プラントはもうハイトーンでシャウトしたりしないし、むしろ抑えたトーンで、囁くようなシーンも多い。出ないから演らないんじゃないことはZep再結成で証明した。今の音楽にはそれは必要ない。ハードロックで叫ぶ所なんかとっくに卒業したのだ。いまだにソレを求める成長しないファンやペイジに関わってるヒマなんか無いのは凄く良く解る。Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/08923365297074708397noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6970463574026628112.post-13361379789033977252014-11-17T18:11:00.000+09:002014-11-17T18:11:52.158+09:00365日のシンプルライフ<a href="http://1.bp.blogspot.com/-e7N-1k2YyIo/VFTpdBu_UqI/AAAAAAAABdA/AMPed6Z4fy4/s1600/365_01.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="http://1.bp.blogspot.com/-e7N-1k2YyIo/VFTpdBu_UqI/AAAAAAAABdA/AMPed6Z4fy4/s1600/365_01.jpg" /></a> 俺はコレクター気質だし、物欲の虜であって、部屋にモノが多いことではこの映画の主人公にも引けを取らないだろう。だからなんかの参考に……とか思ったわけでもなく、テーマ的に面白そうだったし、予告編で、冬の深夜、フィンランドの街中を全裸で走るシーン観たら笑っちゃって、あとはもう観るしかないじゃん?<br />
<br />
コレはドキュメンタリー、ではないのかな?登場人物はすべて実名で、監督であり主人公のペトリと、その家族、友人、恋人が本人の役で出演している。映像も、この「実験」を本当に記録したものに見えるシーンもあるし、映画のために演技して取ったものもあるように見える。恋人といるときのにやけ顔はリアルだし、彼女のことを聞かれてもいないのに友人に語って薄いリアクションをされるシーンなんかも、脚本としては書けるシーンじゃないように見える。逆に、演技ではないけど倉庫の内側から撮ったシーンなんかは映画用の追加撮影かな、と思ったり。何にしても、映画の多くの部分に彼自身が記録として撮影したものが使用されていることは間違いなく、俺はとりあえず、セミドキュメンタリーだと思って観た。<br />
<br />
主人公(脚本、監督でもある)が自らに課した「実験」には4つのルールがある。公式サイトでも見れば書いてあるけど、いちおう記しておこうか。<br />
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(1)持ち物をすべて倉庫に預ける<br />
<a href="http://3.bp.blogspot.com/-P4GClz0Cl5U/VFTpdD0Ps0I/AAAAAAAABdI/pVMQtXW2_UA/s1600/365_02.jpg" imageanchor="1" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" src="http://3.bp.blogspot.com/-P4GClz0Cl5U/VFTpdD0Ps0I/AAAAAAAABdI/pVMQtXW2_UA/s1600/365_02.jpg" /></a> 本当に「すべて」だから全裸から始めるのが馬鹿馬鹿しくて良い。倉庫まで拾った新聞紙を使うのは、アリなのね。<br />
<br />
(2)1日1個だけ持ち帰れる<br />
コレは補足が必要か。「1日に持ち帰れるのが1個」ではなくて、「365日で365個持ち帰れる」と言う方が正確だ。つまり、3日倉庫に行かなければ3日後に3個持ち帰れるのだ。だから彼は「机があったら椅子が必要になる」みたいな理由で複数のモノを持ち帰ったりも、する。だけど「前借り」は駄目なようで、例えば今日2個持ち帰って、明日行かないってのは不可、と言うコトのようだ。<br />
<div>
<br /></div>
(3)1年続ける<br />
(4)1年間何も買わない<br />
持ち物になるようなモノは買わない。食料品や、新聞はアリのようだ。<br />
<br />
そういう生活してると、なんか「何も持っていない」って状態に意義を感じ始めるみたいで、50個持ち帰った時点で「もう何も要らない」って思ってしまったのが凄かった。でもその気持ちは少し解る。一週間一桁ツイートしかしてなくて、たまたまある日ちょっとしたリプしたのを切っ掛けに二桁超えちゃったときの悔しさ、とか……ちょっと違いますか。<br />
結局必需品はそのくらい、もう少しちゃんと生活するためのモノを足しても100番目くらいまでに揃っちゃうのね。だから55番目くらいから釣り道具とか、趣味のモノが顔を出し始める。面白いのは、パソコンは23番目に持ち帰ってるんだけど、携帯は82番目(パンフ裏面のリストより)。これは友人や家族等とのコミニュケイションに支障をきたしはじめた、って描写もあるんだけど、それでも3ヶ月近くどうにかなってるのは凄い。<br />
<br />
気になるのは、96,97番目と135〜163番目にレコードを持ち帰ってるんだけど、リスト見た限りタンテやオーディオを持ち帰ってる気配がない。インテリアとして持ってきたのかな?<br />
<a href="https://3.bp.blogspot.com/-U1mmq-G6Dd8/VFTpdLefw5I/AAAAAAAABdE/bIvZzatRC1I/s1600/365_03.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="http://3.bp.blogspot.com/-U1mmq-G6Dd8/VFTpdLefw5I/AAAAAAAABdE/bIvZzatRC1I/s1600/365_03.jpg" /></a><br />
途中まである程度フィクション、と言うか、役者が出てると思っていたのでおばあちゃんが怪我をしてから老人ホームに入るって話になるまでの流れが切なかった。おばあちゃん、凄くいい人だし聡明だし可愛い。ペトリに色々アドバイスするんだけど、すべてが的確で、大切な話なんだよね。あとは冷蔵庫。ちゃんと伏線になって繋がってくるのが凄くて、まるでフィクションみたい。<br />
<br />
逆に「ああ、記録映像使ってるんだな」って思ったのは、彼女と正式につきあい出す前の映像には彼女の顔が一切映らないこと。気を使って撮影してるんだね。ラスト前に、二人で倉庫にやってくるシーンで遂に顔が出る。可愛い子捕まえたねえ。<br />
<br />
フィンランドでは、映画公開後彼の生活を真似してみたり、ある程度の期間モノを買わないことに挑戦する人が続出したようだ。俺もエンドロールに流れる365個のモノ(フィンランド語で書かれてるからなんだか解らないんだけど)のリストを見ながら、自分の生活を少し変革させるのも必要だろうなあ、と思っていた。確かにモノが多すぎる。少し整理しなくちゃな。<br />
<br />
この日は映画の割引がある日だったからもう一本見ることにしていて、次まで時間があったから横浜駅に戻ってフラフラした。そして、早速我慢できずに自転車のパーツやらCDやらレコードやら買い込んでる自分の姿が、そこにあった。
<!-- Blogger automated replacement: "https://images-blogger-opensocial.googleusercontent.com/gadgets/proxy?url=http%3A%2F%2F3.bp.blogspot.com%2F-U1mmq-G6Dd8%2FVFTpdLefw5I%2FAAAAAAAABdE%2FbIvZzatRC1I%2Fs1600%2F365_03.jpg&container=blogger&gadget=a&rewriteMime=image%2F*" with "https://3.bp.blogspot.com/-U1mmq-G6Dd8/VFTpdLefw5I/AAAAAAAABdE/bIvZzatRC1I/s1600/365_03.jpg" -->Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/08923365297074708397noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6970463574026628112.post-64015080643491704502014-11-13T20:28:00.000+09:002014-11-13T20:39:02.863+09:00Paul McCartney & Wings / Band on the Run<a href="http://2.bp.blogspot.com/-OhTYifhiDO0/U2c61joy7ZI/AAAAAAAABIc/yyK47d-1n6M/s1600/wings_bandontherun.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="http://2.bp.blogspot.com/-OhTYifhiDO0/U2c61joy7ZI/AAAAAAAABIc/yyK47d-1n6M/s1600/wings_bandontherun.jpg" /></a> RamとBand on the Runは奇妙な関係にあって、前者はポール(&リンダ)名義での事実上のプレ・ウイングス作品。後者はウイングスの名を借りた事実上のポールのソロ作。ある意味で裏表の関係。だけど後者はバンドっぽくて、前者はパーソナルな匂いがする。<br />
<br />
俺は基本的に「バンドマジック」というのは「バンド名」にも宿ると思っていて、それはピートとロジャー二人だけが生き残ったフーを見たときに思いを強くしたんだけど、要するに、バンドというのはメンバーが「バンドであろう」と思ったときに成立すると思っている。だからRamはデニー・サイウェルとヒュー・マックラケンがどれだけ奮闘しようとあくまでポールとリンダの作品だし、Band on the Runはポールのワンマンレコーディングにデニーとリンダが「参加した」状態で作られてもバンドの音楽として成立しているのだ。<br />
<br />
そういえばBand on the Runがまさに「バンドが逃げた」状態で作られた、っていう言及がされてるのを見た記憶がないのだけど。コレは余談。<br />
<br />
<a href="http://2.bp.blogspot.com/-De10HGu-v6c/U2c6287_CdI/AAAAAAAABIo/FkXeGTh3krQ/s1600/wings_jet.jpg" imageanchor="1" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" src="http://2.bp.blogspot.com/-De10HGu-v6c/U2c6287_CdI/AAAAAAAABIo/FkXeGTh3krQ/s1600/wings_jet.jpg" /></a> レココレの特集では「バンドがいないからあえてBandというキーワードに思いを込めた」というような(うろ覚え……)ことが書いてあったんだけど、コレはさっき書いた「バンド名マジック」と同じ意味だと思う。作られ方も多分Ramに近くて、ポールのドラム(またはピアノ)とデニーのギター(またはベース)でラフなベーシックを録って、そこにオーバーダブ(半分以上がおそらくポール自身によるもの)を加えて行った筈。ただ、あくまでセッションマンだったマックラケンやドラマーのサイウェルと違って、作曲やプロデュースの能力のあるデニーと、ビートルズ時代から信頼を置いているエンジニアのジェフ・エメリックの存在がこのアルバムから「不安定要素」を取り除いているんじゃないかと思う。あとは、My LoveやLive and Let Dieの成功によるポール自身の自信の復活か。<br />
<br />
さっきは「参加した」という書き方をしたが、実はデニーの貢献は結構大きくて、というか大きくならざるを得なくて、実際、こういうとき以外に気が小さくなる面もあるポールは結構デニーに頼っただろうし、結果として、No WordsとPicasso's Last Words(あ、両方とも「Words」だ)ではデニーとポールがリードヴォーカルを分け合っている。<br />
<br />
<a href="https://4.bp.blogspot.com/-oeU2VTdweEw/U2c62eSvV2I/AAAAAAAABIk/lb-w3peKLSI/s1600/wings_bandontherun_7.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="//4.bp.blogspot.com/-oeU2VTdweEw/U2c62eSvV2I/AAAAAAAABIk/lb-w3peKLSI/s1600/wings_bandontherun_7.jpg" /></a> とはいえ、音空間に漂う空気はMcCartneyやMcCartney IIに近いもの。Ramと違ってベーシックからかなり練られているんだけど、サウンドそのものはラフじゃないんだけど、どことなくデモっぽいんだよね。それは後に多くの曲(近年のライヴまで含めればMamunia以外の全曲)がライヴでバンド編成で再アレンジされ、プレイされているせいもあるのかもしれない。つまり、このアルバムの曲のバンドとしての完成形が後に提示されてるのね。<br />
<br />
特にLet Me Roll ItやBand on the Run、Jetの完成形は明らかにWings Over Americaでのもの。まあ、その分異形性が取り払われて普通のロックンロールになってしまった、という面もあって一概に「完成=最高形」では無いとは思うんだけど。<br />
<br />
Let Me Roll Itに関しては特に昔からこの論を言い続けてたんだけど、ジミー、ジョー参加後のヴァージョン以降のアレンジはあくまで「完成度の高いブルーズロック」で、レノンのCold Turkeyとの比較をするような音楽ではなくなっているとも思う。Cold Turkeyは逆にトロントでの普通のブルーズロックヴァージョンからスタジオ録音で異形の「レノンブルーズ」(俺の造語)に進化したんだけど。Let Me〜の場合はそれでも、One Hand Clappingで聴けるジェフ・ブリトンが叩くヴァージョンからジョーのドラムに代わる課程でリズムの側から異形性を取り戻してるのは面白い。<br />
<br />
そういえばBand on the Runも元々はポールの持病である「憧れのHappiness is a Warm Gun症候群」から産まれた曲の一つ(にして最高峰)だから、このアルバムは結構「レノンコンプレックス」から産まれた作品でもあるのかもしれない。この病気についてはまた別途語るとしたい。Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/08923365297074708397noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6970463574026628112.post-86037027780139640862014-11-12T19:09:00.000+09:002014-11-12T19:09:02.274+09:00電気グルーヴ / 塗糞祭 2014.11.8<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://1.bp.blogspot.com/-X2ob5kpRc7Q/VGMrA6O03GI/AAAAAAAABgw/5WHNSkBE3xs/s1600/dg01.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="//1.bp.blogspot.com/-X2ob5kpRc7Q/VGMrA6O03GI/AAAAAAAABgw/5WHNSkBE3xs/s1600/dg01.jpg" /></a></div>
電気の単独公演は初めて観る。初ライヴも去年のソニックマニアだったんだけど、実は(って言うコトもないが)カラテカくらいの時期からのファン、今や「古参」と言われる部類だと思う。今回は25周年と言うコトで懐メロツアーだというし、歴代メンバーやコラボレイターが登場するというので、楽しみにして挑んだ。いいんだ、懐メロだって。お祭りなんだから。<br />
<br />
定刻を10分程過ぎたくらいでスタート。オープニングは当然の如く電気グルーヴ25周年の歌だが、そのあとはカラテカ、UFOからの選曲がメインとなる。後のMCで卓球も言っていたが、「二度とやらない曲」が目白押しだ。いや、Twist of the Worldやケトルマンなんかこんな機会だって聴けないと思ってたよ。<br />
<br />
今回のツアーの特徴の一つは「ダラダラと無駄に長く意味のないMC」。瀧がなんか言うと卓球がいちいち要らんとこ拾って無意味な駄洒落言うからもう進まないこと。CMJKん時もまりんの時も「そろそろゲスト呼ぼうか」って言ってから何度脱線繰り返したか。もうね、ホント、糞面白いんだけど、鬱陶しい(笑)早く曲やれよ!ステージで雑談してんじゃねえよ!マイク使えマイク!(笑)DVDのオーディオコメンタリーあるじゃん、アレ。アレと同じ。本当に酷い。<br />
<a href="https://3.bp.blogspot.com/-9E8J1AqqZ7Y/VGMrA77WY4I/AAAAAAAABg0/JPDB2ZgmZ3Q/s1600/DGLIVE.jpg" imageanchor="1" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" src="//3.bp.blogspot.com/-9E8J1AqqZ7Y/VGMrA77WY4I/AAAAAAAABg0/JPDB2ZgmZ3Q/s1600/DGLIVE.jpg" /></a><br />
<br />
最初のゲストCMJKを迎えては1stアルバムの曲のリアレンジを3曲。「あー、この頃は矢鱈に歌詞に電気グルーヴって入ってたなあ」とか懐かしむ。今時のEDMっぽいサウンドは馴染みがないのだけど、思った以上に相性がいい。そして、初期の曲って結構ファンキーなんだな、って思う。Bingo!はやっぱり楽しいね。<br />
<br />
続いてはDJ TASAKAを迎えて浪曲インベダーとドリルキング社歌。後者はスチャダラパーの出囃子を兼ねていて、大阪、名古屋でも演ってたけどTASAKAが入ったのは東京公演のみだったようだ。ああ、KAGAMIもいればなあ……とは言わない約束、ってのはわかっちゃいるが。<br />
<br />
スチャを迎えては勿論電スチャのアルバムから。聖☆おじさんの後に瀧とアニの収集つかない猿芝居(アニが千円盗んだとか盗まないとか……)からアニVS瀧&瀧VSアニの「ラップバトル」に。結局アニは泥棒、という扱いのまま終わってしまう。<br />
<br />
今回散々話題にもなってたけど、目玉の一つとして電スチャによるブギーバック、というのがあった。卓球が小沢のパートを歌ったんだけど、なんとミドルエイトは牛尾が!ちょっと小沢に声が似てて笑った。そういえば、俺は2年前の今頃もスチャのブギーバックを観ていたのだ。あのときは星野源だったが。<br />
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://1.bp.blogspot.com/-iDaPocnG1zc/VGMrB18hA6I/AAAAAAAABg4/TUbsrztM52Q/s1600/dg04.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="//1.bp.blogspot.com/-iDaPocnG1zc/VGMrB18hA6I/AAAAAAAABg4/TUbsrztM52Q/s1600/dg04.jpg" /></a></div>
再びメンバー+牛尾だけに戻って、比較的最近の曲を中心数曲。ゲストコーナー以外ではステージの階段に投影されるプロジェクションマッピングが素晴らしい。階段というモチーフでいろんなことをやってるのが、時折感動のレベルにまで。<br />
<br />
そしてこのパートのラストはモテたくて。事前に「今日だけのゲストがいるけど嬉しいものとは限らないよ」とか言ってたから誰が出るのかは予測してたけど、案の定この曲の2コーラス目からポリバケツの仮装をした天久聖一が。あまりにも酷い音程の歌唱で爆笑を誘う。しかし本人は仮装の出来にご満悦。1コーラスだけ歌って、とてもWOWOWで放送できないMCを言い捨てて、帰る。<br />
<br />
さて、ゲストコーナーの最後は勿論まりんなんだけど、その前のMCがまた長いコト!グダグダ遂に極まる。いや、もっと前から極まってるんだけど、極みを更新し続けるっていうね……いやー、ヒドかったな。瀧に物真似ネタ振ってやらせといてただ爆笑する卓球……客席もガチで引き気味だったのが最高だったな(笑)<br />
<br />
まりんは瀧の曲メドレーからスタート。正直このメドレーは若干ダレ気味に思えた。ストーンズのアメリカ公演のキースコーナーってこんな感じなのかしら。でもやっぱり富士山はどうしようもなくブチあがる。普段聴くには飽き気味だったけど、やっぱライヴでは凄いな。ロックンロールだよね。<br />
<br />
そしてママケーキ。オリジナル以上にファンキーにアレンジされてて、単純に最高にかっこいいファンクになってた。ラストは当然まりんがリードヴォーカルを担当。瀧と卓球も輪唱状態で被り、そして3人で謎の振り付け……まあ、個人的にはこのライヴのハイライトだったな。死ぬほど踊った。ってか、オレンジアナログで欲しくなっちゃったなー。<br />
<br />
<a href="https://2.bp.blogspot.com/-FqPQP9SxMdQ/VGMrA4uvWhI/AAAAAAAABg8/ah5LaBF26SY/s1600/dg03.jpg" imageanchor="1" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" src="//2.bp.blogspot.com/-FqPQP9SxMdQ/VGMrA4uvWhI/AAAAAAAABg8/ah5LaBF26SY/s1600/dg03.jpg" /></a> まりんのパートは聴きなれたアレンジ(09年のリミックスベースか?)のグリラで再びブチ上げて終了。コレでラストでも文句無しくらいだけど、この後もまだ続く。再びゲスト抜きで、モノノケダンスやジャンボタニシ、Fake It!なんかを含む、ラストスパートにしては渋めの、しかしみんな嬉しい選曲が続く。個人的にはスマイルレススマイルが嬉しかったなぁ。レアクティオーンやパラシュートも聴きたい……とか思ったけど。<br />
<br />
俺はね、カメライフが本編ラストだって解釈したな。そしてN.O.もとい無能の人と電気ビリビリが、あえて662bpmのヴァージョンで演奏されたのこそが、事実上のアンコールだったんじゃないかと。そして、今の音で当時のアレンジを聴くともの凄く新鮮。こんなファンキーで踊れる曲だったのか!って思った。662はリマスターしてK/oonから再発して欲しいな。<br />
<br />
しかし、WOWOW入ってるのに「死体マニア」ヴァージョンで歌うんだからなあ(笑)ラスト曲、エンディング、二人がガッチリ握手するという最高の見せ場を作りつつも放送できないっていう事態を平気で作り出す。そんな25周年の締め括り。まあ、電気だしな。Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/08923365297074708397noreply@blogger.com1tag:blogger.com,1999:blog-6970463574026628112.post-88279407620601233802014-11-05T18:15:00.000+09:002014-11-05T18:15:01.119+09:00イーダ<a href="http://3.bp.blogspot.com/-j3eUO7uARUw/VFTWgw_47tI/AAAAAAAABbE/0u4jHs-0NIc/s1600/ida_01.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="http://3.bp.blogspot.com/-j3eUO7uARUw/VFTWgw_47tI/AAAAAAAABbE/0u4jHs-0NIc/s1600/ida_01.jpg" /></a> 観なくてもいいかなー、と思っていても観なかったら結局後悔するかも、と思うとかなり無理矢理でも観ないと気が済まない。観ないで後悔するなら観てがっかりした方がいい。そう思って、かなり無理矢理観に行ったのがこの「イーダ」という映画。タイミングを逃してるうちに近場で最後の上映館が終わろうとしていたので、平日にわざわざ行ってしまった。「どうしても」という映画ではないのに。<br />
<br />
ジャズが印象的に使われている、という程度の薄い動機で引っ掛かったので、実際よく考えるとそんなに深い興味が無い。だから公開始まってもだらだら先延ばしにしてしまっていたのね。でも何故か観なきゃいけない気がして。<br />
<br />
時代設定が60年代初頭で、ナイトクラブのシーンではジャズとポップソング(英国の最新R&Bよりちょっと野暮ったい感じなのが絶妙)がバンドによって演奏される。そこでイーダが惹きつけられるのがコルトレーンのNaima。俺は「あんまり上手くないな」って思ったんだけど(笑)まあ場末のキャバレーバンドだからある意味それもリアリティだろう。そういえば「サックスの音色が80年代っぽい」っていう評があって少し笑ったんだけど、俺もドラムのパーツ(特にラグの部分とか)が50〜60年代製には見えないな、って思ってた。古い時代の映画、機材選択は難しいよね。リアルに見せるためには「新品のヴィンテージ機材」が必要なんだから。<br />
<br />
お馴染み閑話休題。<br />
<br />
正直、難しかった。フランシス・ハに続きモノクロ映画を感じ取りきれないパターンだ。表現が多分繊細すぎるんだよね。先日観た「悪童日記」も静かな映画だったけど、それ以上に静か。セリフは極端に少なく、表情や状況を読み取らなきゃいけない場面が多い。まあ、ガサツな俺には向いてないよね。だけどモノクロってのがそのために効いてるな、とは思った。音楽は叔母さんのかけるレコードとナイトクラブのシーンで意図的に派手に表現されている感じ。コントラストを作ってるんじゃないかな。<br />
<a href="http://4.bp.blogspot.com/-qgjrlNK3nSk/VFTWg4BF5PI/AAAAAAAABa8/YSViTpFNHW8/s1600/ida_03.jpg" imageanchor="1" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" src="http://4.bp.blogspot.com/-qgjrlNK3nSk/VFTWg4BF5PI/AAAAAAAABa8/YSViTpFNHW8/s1600/ida_03.jpg" /></a><br />
<br />
セリフが少ないのはイーダ役が素人だから、と最初は思ったのだけど、それは違うよね。セリフの無い演技の方がむしろ難しいんじゃないかな。特に、何回か出てくる落ち着かない感じの演技が秀逸。なんていうかねー、なんか、あるじゃん。その場で目の前の出来事に対峙した方がいいなーと思いながら出来なくて、逡巡しつつその場を立ち去るんだけどどこにも居場所がなくて、って言う、アレですよ。凄い伝わるんだよね。あればっかりは凄い。無表情なのも素人ゆえのものではなくて、ちゃんと無表情の演技だし。そういえば余談だけど、さっき対比した悪童日記の主役(双子)もプロの俳優じゃない。同様に無表情の演技が印象的だった。どっちも大戦と東欧っていう共通点もある。<br />
<br />
それから「間」が多い。食事のシーン、車に荷物を載せるシーン、それにイーダの祈りのシーン。テンポ感のいい映画を観慣れていたから少したるく感じたけど、これも静寂の表現の一つなんだろうな。特に印象的だったのがイーダが物思いにふけるシーン。いかにも「考えてますよー」って演技じゃなくて、ひたすら無表情で意識が内面だけに行ってる感じ。すごく大事なことと考えてもしょうがないこととつまんないことを同時に考えてる感じ。<br />
<a href="http://2.bp.blogspot.com/-ljrXOvwyRqk/VFTWg2llpII/AAAAAAAABa4/z9GSHxjCe94/s1600/ida_02.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="http://2.bp.blogspot.com/-ljrXOvwyRqk/VFTWg2llpII/AAAAAAAABa4/z9GSHxjCe94/s1600/ida_02.jpg" /></a><br />
<br />
画面構成も「間」の表現なのかな。人物が右(または左)下に配置されて空間が凄く強調される画が多かった。で、それを「イーダと神をフレームに収めている」って解釈があって一つの考えとして納得。確かに、彼女のアップのシーン、中央に収めたシーンなんかは「神と別行動している」って捉えられるところが多い。なるほど、でした。<br />
<br />
叔母のヴァンダは薄々知っていた過去に向き合いきれず、命を絶つ選択をした。イーダは知らなくて済んだ筈の過去と向き合い、今までの生活と正反対の俗世を知り、自分と正反対の他者を知り、解ろうとして、知らなくて済んだ筈の未来の選択肢を垣間見て、そこから意思を持って自分の信じる未来を選択した。具体的な選択肢は画面には示されない。修道院に戻ったという解釈と、また別の道を歩みだしたという解釈と、どちらにも説得力があるけど、既に純潔でもなく、かといって俗世に塗れてもいない彼女がどこかに所属したり帰依したりできる気がしないんだよね。少なくとも、ラストシーンで一人歩く姿からは聖職者として一本道の単純な未来はイメージできなかった。Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/08923365297074708397noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6970463574026628112.post-71319653761599316872014-11-04T18:25:00.000+09:002014-11-04T18:25:09.472+09:00トーべ・ヤンソン展、他 日記っぽい話を書く。「っぽい」ので日記ではない。しかも今日の話でさえない。ある日の日記っぽい話だ。<br />
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<a href="http://3.bp.blogspot.com/-NhQ_hcqekLg/VFTeDHGUndI/AAAAAAAABcQ/wgsk5Jc954w/s1600/tove.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="http://3.bp.blogspot.com/-NhQ_hcqekLg/VFTeDHGUndI/AAAAAAAABcQ/wgsk5Jc954w/s1600/tove.jpg" /></a></div>
休暇を取ってトーべ・ヤンソン展を観た。画家としてのヤンソンに焦点を当てた展示。勿論ムーミンの挿絵もあるけど、油絵が多く展示されてるのが目を惹いた。個性的な絵ではないし、正直挿絵画での線画のスタイルの方が好きだけど、初期にはその線画に進む萌芽のようなものが見え、ムーミンを経て一時挿絵画に油絵が引きずられたり、抽象に向かった後に一旦油絵から身を退くんだけど、その後に描いた自画像が秀逸。色々呑みこんだ感じで、総括感があった。<br />
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画を観ていて「ああ、俺には切り取る能力が欠けてるんだな」って思った。広角や俯瞰でばぁーっと見るのが好きで、そういう目線でものを見ているみたい。で、絵を描いたり、写真を撮るときに一部を切り取って、フレームに収めるってことが苦手。見せたいところを切り出す、ってことが苦手なのね。それは実は文章も同じで、アレもコレも書きたくて長くてまとまりのない文章になる。<br />
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ジャック&ベティで「イーダ」を観た。余白の多い画面構成を見てフレームの件、更に思った。そのあとネットで意見を拾ってたら「余白はフレームに神を収めるため。イーダが自分の意思で動きだすシーンは中央に彼女が収められる」って言うのがあって、まあ全てがそうじゃないんだろうけど、納得。で、今度は映画からそういうものを読み取る能力にも欠けてるよなぁ、って思ったり。まあ、映画慣れしてないから仕方ないっちゃそれまでだけどね。<br />
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<a href="http://3.bp.blogspot.com/-pp3-ucaXfTE/VFTeDNADlBI/AAAAAAAABcM/KSMB1L98MIE/s1600/recordplayer.jpg" imageanchor="1" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" src="http://3.bp.blogspot.com/-pp3-ucaXfTE/VFTeDNADlBI/AAAAAAAABcM/KSMB1L98MIE/s1600/recordplayer.jpg" /></a> たけうま書房という古本屋で「日本のポータブルレコードプレイヤー展」というのをやっていて、観に行った。ジャック&ベティのすぐそばじゃないか。映画を観るまで暇だったりするときにふらふら歩いていたこともある通り。こういう面白そうな店を見つける能力も衰退してしまった。偶然で行きあたるのも下手糞になったなぁ。<br />
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サブカルチャー系に強そうな品ぞろえ。そんな店内に可愛いポータブルプレイヤーが大量に(108台!)並ぶ。展示もお洒落で、特に正方形の棚に並べたのはもうこの棚ごと欲しい、って感じだったな。楽しい店。また行きたい。<br />
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伊勢佐木町の安い中華料理店で昼飯を食う。美味しいし安いしボリュームもあるのに空いてる。平日の、昼休み少し外した時間だからかな?しかし、量も食えなくなったなぁ。<br />
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書店やレコード店を冷やかして帰る。充実しつつも、自分という個体の衰退を強く感じた一日。Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/08923365297074708397noreply@blogger.com1tag:blogger.com,1999:blog-6970463574026628112.post-23928387257502198372014-11-03T17:13:00.000+09:002014-11-03T17:13:25.212+09:00FRANK -フランク-<a href="http://3.bp.blogspot.com/-xTSmc2vMoWY/VD-2EVbjsZI/AAAAAAAABWs/bquWnA99TUg/s1600/frank_01.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="http://3.bp.blogspot.com/-xTSmc2vMoWY/VD-2EVbjsZI/AAAAAAAABWs/bquWnA99TUg/s1600/frank_01.jpg" /></a> アンダーグラウンドなロックバンド、リーダーは常に巨大なマスクをかぶっている。そんな要素だけでも期待を膨らませるには充分な予告編を観た単純な初心者映画ファンはすぐに惹き付けられ、公開を心待ちにして、封切り初日に観に行ってしまった。これもまた、映画ファンとして初の体験である。<br />
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音楽レビューっぽくバンド(ソロンフォルブス)のメンバーから紹介する。主人公はアマチュアミュージシャンで、偶然からバンドに参加することになるキーボーディストのジョン。日常を素材に自作曲をコンピューターで制作する序盤のシーンだけで彼の平凡な才能が描写される。この部分や後半でフランクに披露するオリジナル曲のパッとしなさが絶妙で、平凡な才能を持った作曲経験者はこれらのシーンだけで心臓から太腿くらいまでの皮膚と筋肉がざわざわすることは受け合い。ましてやジョンの自信ありげな表情や発言をセットにして見ては。<br />
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ギタリスト兼ベーシストのバラクは神経質そうなフランス人。この手のアンダーグラウンド系バンドのギタリストとして完璧な風貌。勿論ジョンとの折り合いも悪い。女性ドラマーのナナは比較的きつさの少ない性格で緩衝材的な面がある。ちなみにこの人、俳優ではなくプロのドラマーで映画は初出演。ジャック・ホワイトやジョン・フルシアンテとの共演経験もあるようで、実力派じゃないか。プレイスタイルも独特で、なーんとなく「女ジョーイ・ワロンカー」って雰囲気も。。<br />
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自殺未遂を起こしたメンバーの代役としてジョンをバンドに誘ったのがマネージャー兼エンジニアのドン。ステージには立たないがメンバーの一員のような描写(実際、初代キーボードでもあった)のされかたはピート・シンフィールドなどのノンミュージシャンもイメージさせる存在。精神の疾病持ちで人形にしか欲情しないというキャラ設定ながらジョンと並ぶ常識人として描写され、それだけに最期のシーンが衝撃的。<br />
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映画とバンドの中心人物のひとり、クララはシンセサイザーとテルミンによるノイズ担当。ソロンフォルブスの事実上ナンバー2。エキセントリックな性格で、自分だけがフランクの真の理解者だと信じ、彼に対しては深い愛情と信頼を、ジョンに対しては憎悪に近い感情を抱いている。凄くいいキャラクター。入浴中のジョンと(何故か勢いで)セックスしてしまうシーンの色気の無さも白眉。<br />
<br />
そしてフランク。巨大な仮面を絶対に脱がないバンドのシンガーで、ソングライター。ソロンフォルブスのアバンギャルドな音楽性もコンセプトも全て彼のものではあるが、実際には意外に成功を求めたり、ジョンの音楽に理解を示したりする面も持っている。が、感覚が(音楽的に)ナチュラルに狂っているのでジョンの曲にアドバイスするうちに全く別物にしてしまったり、無理に書いた一般受け狙いの曲がやっぱり狂ってたり、っていう人。名前からしてザッパがモデルかと思ってたら、かぶり物設定含めてフランク・サイドボトム(ちゃんと聴いたことない)をベースにダニエル・ジョンストン+キャプテン・ビーフハートなんだってね。<br />
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メンバー紹介だけで長くなっちゃったな。<br />
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<a href="http://4.bp.blogspot.com/-gC3uyrEx8Jg/VD-2EbgevEI/AAAAAAAABWo/Uv8fPesWe3c/s1600/frank_02.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="http://4.bp.blogspot.com/-gC3uyrEx8Jg/VD-2EbgevEI/AAAAAAAABWo/Uv8fPesWe3c/s1600/frank_02.jpg" height="176" width="320" /></a></div>
映画の主題はフランクの正体、何故彼が仮面をかぶっているのか、かぶらなければならなかったのか、というところのように紹介されているけど、どうも違うんじゃないかという気がするし、仮面(内向性)と才能の関連についてはラスト付近で両親によって語られるとおりだ。<br />
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むしろジョンのエゴの問題が主軸的に描かれている印象が強い。うだつの上がらないミュージシャンがカリスマ的なアンダーグラウンドバンドに加入し、大きな成功を夢見る過程でエゴが増大していく。レコーディング中にフランクに惹かれていく過程で自分がフランクをプロデュースできると勘違いを始めるジョン。「誰もがフランクにあこがれるが誰も彼にはなれない」というドンの言葉があるにも関わらずジョンは自分が対等になれると思いこんでいく。でも才気あふれるミュージシャン集団であるソロンフォルブスには彼の才能が無いコトは完全に見抜かれていて、だから最後まで決して本当の意味で受け入れられることはない。<br />
<a href="http://4.bp.blogspot.com/-B_fSpSIgklQ/VD-2Fb49veI/AAAAAAAABW4/HAqvii6Sc6o/s1600/frank_04.jpg" imageanchor="1" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" src="http://4.bp.blogspot.com/-B_fSpSIgklQ/VD-2Fb49veI/AAAAAAAABW4/HAqvii6Sc6o/s1600/frank_04.jpg" /></a><br />
でもフランク自身は何故か彼の言葉を信じてしまうんだな。凡人であるジョンの、凡人ゆえの一般的感覚を取り入れることによってフランクが実は憧れる名声への近道となる、という想い。それは「成功=仮面の内に籠った心を広い世界に開放すること」への想いだったのかもしれない。<br />
<br />
でもそれをぶち壊すのはジョンだ。メンバーはフランクが「広い世界」に耐えられないのを知っていた。ナナに「狂っているのはジョンだ」と言われるが、エゴが肥大したジョンは(自分では気づいていないが)もはや「フランクの才能を世間に示す」のが目的ではなくなっている。「フランクを利用して自身が名声を得ようとしている」ことが言外に描かれるステージシーン。浮ついたMCを率先して行い、リーダーでシンガー(とはいえ、この時点ですでにバンドは二人だけだが)であるフランクそっちのけで自分の曲からステージを始めるジョン。結局ここで、大観衆とジョンのひどい音楽に耐えきれずフランクの精神は壊れてしまうのだけど、ジョンが自分の過ちに気付くのはもっと後。<br />
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もう一つのポイントはネットの功罪。これは身につまされた部分だ。ジョンは登場時点からツイッターをやっていて、俺同様のネット中毒。で、アイルランドの山奥でのレコーディング風景も逐一ブログとYouTubeにアップしていて、本人はソロンフォルブスという素晴らしいバンドを世間に知らしめる手段だと思っている。だけど問題はそれをメンバーに無断で行っていたことで、その是非を巡ってバンド内の軋轢は悪化する。ジョンはYouTubeの再生数がバンドの人気の証、サウンドが世間に受け入れられた証だと勘違いするんだけど、フェスのスタッフには「たいした再生数じゃない」と言われるし、観ていた連中もバンドの音楽に惹かれたわけでなく「面白動画」として見ていただけということが解る。<br />
<br />
結局大雑把にいえばジョンは自己顕示欲を満たしていただけで、むしろ彼のやっていたことは余計なコトだった。状況こそ違うけど、実は俺自身数年前ちょっとつきあってた人に「ブログにプライベートなコトを書き過ぎる」と言われ、結局それが関係を壊す一因になった経験があるのでこの辺は見ていてキツい気分だった。<br />
<a href="http://1.bp.blogspot.com/-sjDUY4LNrW8/VD-2EYi0LyI/AAAAAAAABWw/zDzT9EASMrU/s1600/frank_03.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="http://1.bp.blogspot.com/-sjDUY4LNrW8/VD-2EYi0LyI/AAAAAAAABWw/zDzT9EASMrU/s1600/frank_03.jpg" /></a><br />
でもなー、男女関係ならともかく、バンドのコトになるとむしろ「発信した方がいい」って方に流れるよなー。明らかに良かれと思ってやってるし、今の時代ソレが必要だと思う方が自然だし。一概にジョンが間違ってるとも言い切れないが故に、辛い。<br />
<br />
ラスト、フランク抜きの3人で演ってる音楽もいいし、そこにジョンに連れられ仮面を取ったフランクが現れ、仮面無しでも今までと変わらぬ才覚を感じさせるポップで甘美でアバンギャルドなバラードを歌い出し、そこにナナ、バラク、そして暫く遅れてクララ(ちゃんとステージにテルミンとモーグを用意している!)が入ってソロンフォルブスのサウンドが復活、気付くとジョンはその場にいない、と言う流れが最高にいい。全員が本来の「持ち場」を見出すラストはハッピーエンドと言っていいんじゃないかな。<br />
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最後に音楽の話をちょこっと。<br />
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勿論ソロンフォルブスのアバンギャルドかつ魅力的な楽曲も素晴らしくて、我慢できずサントラまで買った。まあ、劇中で聴く程良くはないと思ったけど(笑)でも、ジョンのしょぼい曲やフランクが大衆に迎合した中途半端な曲のような「駄目な曲」を解り易く書けるだけでも作曲のStephen Rennicksの才能がわかる。この人元々建築を学んでいたと言い、アバンギャルドな音楽が作れてサントラ作れて、って要素からちょっとピンク・フロイドも想わせる存在。フランクはシドだったのか!?Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/08923365297074708397noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6970463574026628112.post-91652121717269930172014-11-02T17:34:00.001+09:002014-11-02T17:34:54.360+09:00Simon Phillips<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="http://3.bp.blogspot.com/-kQMoNQjAuvI/VFTVEvgUIuI/AAAAAAAABas/Oghd8L8ZCOw/s1600/simonphillips_thewho.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="http://3.bp.blogspot.com/-kQMoNQjAuvI/VFTVEvgUIuI/AAAAAAAABas/Oghd8L8ZCOw/s1600/simonphillips_thewho.jpg" /></a></div>
あの頃結局サイモン・フィリップスはフーのドラマーだったのだ。<br />
<br />
ザックが途中離脱して、スコット・デヴォースが参加した四重人格ツアー。商品化されたのはスコットのヴァージョンだった。ここでの彼の演奏は、ザックに比べてもよりキースのドラミングを再現していて、アルバムを聴きなれた耳には違和感が少なかった。ザックのドラミングは、キース的なフレーズも交えつつあくまで彼自身のオリジナルのスタイルだから、必ずしも従来のフーの曲にジャストフイットするようなプレイでない場合も多々あった。だけど、誰もが「ザックはフーのドラマーとしてふさわしい」と感じていた。<br />
<br />
フーが結成50周年、ラストツアーを行うにあたって、ピートとロジャーは再びザックを呼び戻す。<br />
<br />
スコットのプレイは確かに、フーらしく聴こえるような、キースっぽいスタイルを再現していた。が、そもそもフーのメンバーに「バンドに合わせて誰かを模倣する」ような人間がいただろうか?<br />
<br />
だいたいにおいて、オリジナルメンバー達が完全にオリジナル過ぎるプレイヤーで、誰一人他人に合わせる気がなく、誰かを真似したり、手本にした気配さえ希薄な連中なのだ。フーはルーツが見えづらいバンドと言われるが、それはピートの楽曲も、メンバーの演奏も全て元ネタが見当たらないからだ。<br />
<br />
キースが死に、ケニー・ジョーンズがドラマーの座に座った。ケニーもスモール・フェイシズ初期はキースとも共通する手数の多いプレイをしていたが、80年代頃はかなりスクエアなプレイヤーだった。それが、フーに迎えられて、フーに合わせて、キース的なプレイをしたか?一部のファンに不評なくらい、ケニーは自分のスタイルを貫いた。キースの真似なんか一度もしなかった。色々言われるけど、Who Are Youくらいからピートの楽曲はケニー的(または、サイモン的)なプレイを求めていたし、それはその時代のフーのサウンドとしてケニーを含めた4人が作り出したものだった。<br />
<br />
俺はサイモン・フィリップスには違和感しか感じなかったけど、スコットとザックのコトを考えてわかった。サイモンも、決して自分のスタイルを崩さず、フーの中に自分のまま収まろうとした。それは今になって振り返ればフーのメンバーの条件だったのだ。ピートもサイモンにキースの模倣なんか求めて無かった。サイモンはピートのDeep Endのメンバーだったから、きっと「そのまま演ってくれ、人真似なんかするな」って言われた筈だ。そして、そうじゃないとジョンやピートと拮抗したプレイなんかにならないのだ。俺の好き嫌いなんか関係なく、サイモンはフーの新ドラマーとして求められる仕事をしたと思う。実際、彼のプレイをキースの後任としてふさわしいと感じるファンも数多くいたのだから。彼はこなしたし、受け入れられていたと思う。<br />
<br />
ちょっと勘違いされやすい文章になっちゃったけど、スコット・デヴォースの仕事を貶める意図もない。スコットにここで求められるのは「ザック、またはキースの代役として四重人格ツアーを成功させる」プレイだった筈で、スコットは「代役でありサポートメンバー」としての仕事を完璧にこなした、と思っている。<br />
<br />
ピノもジョンの真似なんかしてないし、ザックもそうだ。オリジナルメンバー以外ではケニーが唯一の正式メンバーであり、サイモンもピノもザックも一応サポート扱いではあるけど、準メンバー的に見られる理由はそこにある。フーであるからには自分でなければならない。誰かの真似であってはならない。自分自身がその誰か(Who!)であることが重要なのだ。Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/08923365297074708397noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6970463574026628112.post-10446403096884972572014-10-31T23:21:00.000+09:002014-10-31T23:21:39.611+09:00サンシャイン 歌声が響く街<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="http://2.bp.blogspot.com/-IswtZlR2lCw/VETW3kjvZVI/AAAAAAAABZQ/AVP2eGOtgy4/s1600/sunshine.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="http://2.bp.blogspot.com/-IswtZlR2lCw/VETW3kjvZVI/AAAAAAAABZQ/AVP2eGOtgy4/s1600/sunshine.jpg" /></a></div>
「サンシャイン 歌声が響く街」は正直何で見たのかよくわからない。スコットランドが舞台でポップミュージック系のミュージカル、なんかハッピーな感じがする、あとは英国制作繋がりでFRANK観た直後だった、とか色々条件が重なって、うっかり観てしまった感じ。<br />
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なんてーかねえ、要するに普通の男女のカップル(壮年夫婦含む3組)が普通に恋をして(既に結婚していたりつきあっているもの含む)普通に軋轢や障害が起こって、普通に壁を乗り越えて、普通にハッピーエンド、そういう内容の映画って要するに俺には向かない。ここでバルフィとかシンプル・シモンを引き合いに出すと誤解を受けるとは思うんだけど、やっぱりハッピーに暮らせるのが当り前の人々が当り前にハッピーになりましためでたしめでたし、では引っ掛かりが無さ過ぎる。それならそれでどれだけエンターテインしてくれるのよ、って訊けば「ミュージカルです。歌って踊ります」えーっ?それだけぇ?<br />
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主役と言えるカップルが3組あって、まず今年銀婚式の壮年夫妻、その娘と、彼女の兄の親友(軍隊で一緒だった)、映画の序盤ではその兄は独り者だけど、妹の同僚を紹介されて付き合い始める。で、まあ持っているドラマの量からして今書いた順番の重みでストーリーは進行している、ように見える。<br />
<br />
最初の40分は彼らのハッピーな姿、ハッピーになっていく姿を延々描写し続け、何も展開しない。兄貴に彼女が出来るシーンが強いて言えば展開だがパーティで知り合ってあっという間に付き合うから展開らしい展開にも見えない。だらだらとハッピーに暮らし続け、そんなもんわざわざ映画にするなよ、と思う。後半の波乱への伏線としてお父さんの隠し子(娘)登場のシーンが出てくるが、重要なシーンとは言え退屈を紛らわせてはくれない。<br />
<br />
中盤、両親の銀婚式でようやく、しかし唐突に話は動く。隠し子から受け取った彼女の「両親」の写真を妻の方が発見してしまい、その場で夫婦の危機が訪れる。娘は娘で彼氏の公開プロポーズを断ってしまい、彼をからかった男と喧嘩が起り、そこに兄ちゃんがついでに加勢してそれを止めようとする彼女に手をあげかけてしまいついでにこのカップルにも軋轢が発生する。取ってつけたような急展開を取ってつけた流れにこっちは呆然とするのみだ。<br />
<br />
さて、仲直りのパートだ。兄ちゃんカップルは切っ掛けが些細だったから拍子抜けするくらいあっさり仲直りする。だいたいこのカップル揃って瞬間湯沸かし器でつまんないコトで喧嘩してあっさり別れ話になって簡単に復縁する。現実にはこういう馬鹿いっぱいいるけど、映画で見ても鬱陶しいだけだ。妹カップルは仲直りには至らず、妹はアメリカへ、彼氏はやけくそで軍に戻る、という分かれっぱなし展開を見せる。そして両親は、夫が唐突に卒中かなんかで倒れたのを機に看病からの仲直り、という典型的な問題解決抜きでの終結を見せる。と言うわけで、普通はここで妹カップルの仲直りに主眼が移ると思うじゃない。<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="http://2.bp.blogspot.com/-oacm-IlvGl0/VETaSbOZjCI/AAAAAAAABZs/x9PjLN88tDM/s1600/sunshine02.jpg" imageanchor="1" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" src="http://2.bp.blogspot.com/-oacm-IlvGl0/VETaSbOZjCI/AAAAAAAABZs/x9PjLN88tDM/s1600/sunshine02.jpg" /></a></div>
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しかし、ここで兄ちゃんカップルにもう一回危機が。ある意味コレが最大のどんでん返しだった。<br />
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またしても些細な会話から仲違いをしてしまう二人。出ていく彼女を追いかけ、なんとか捕まえて誤解を解こうとする(というより言い訳をする)とまたしてもあっさり怒りが解ける。そして喜びの歌とダンス!これぞミュージカルの醍醐味!大団円に相応しく、周囲を巻き込み大々的なダンスが……って、えー?あなたたちのシーンで終わりなんですか!?明らかに重みを置かれていた両親夫妻でも、妹カップルでもなく、引き立て役的に存在しているように見えた兄ちゃんカップルで大団円!?<br />
<br />
ちなみに妹カップルは、手紙のやり取りするシーンこそ出てきて時を経た後の再会を匂わせるもののハッピーエンド的描写は無いまま終わる。まあ、そういうリアリティなのかもしれないけど、この流れとミュージカルで半端にリアリティ出されても……<br />
<br />
お母さんの「顔」の演技は素晴らしかったです。人間、ハッピーな時は綺麗でも荒んだ時醜くなるじゃん。アレが演技で出せてるのは、凄いと思った。あと父ちゃんのセリフにケルト系民族っぽさを感じた。以上。Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/08923365297074708397noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6970463574026628112.post-73038876493313211772014-10-30T20:41:00.000+09:002014-10-30T20:41:00.480+09:00Kenny Jones<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="http://2.bp.blogspot.com/-k45iokdvvbg/VDMUqL9MoOI/AAAAAAAABWY/tGnXpQQx6bk/s1600/kennyjones.png" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="http://2.bp.blogspot.com/-k45iokdvvbg/VDMUqL9MoOI/AAAAAAAABWY/tGnXpQQx6bk/s1600/kennyjones.png" /></a></div>
フーを最初に見たのはライヴ・エイドだったし、それで好きになったんだから俺にとってケニーは全然「フーに合って無い」ドラマーではない。シャープでタイトなドラミングは少なくとも80年代には凄く格好良かった。Won't Get Fooled Againのケニーのフレーズはいまだに俺がコピーするときにも混ざり込んでくる。<br />
<br />
それからキースのプレイを知ったわけだけど、勿論フーのドラマーとしてキースは圧倒的に凄くて、ああ、これが「本来の」フーなんだ、というのはちゃんと感じつつも決して「ケニーじゃあやっぱ駄目なんだな」と思ったことは無かった。無かった、というか、現在に至るまで一度も無い。<br />
<br />
それでも、ケニー自身の60年代、スモール・フェイシズ時代のプレイを聴くと80年代の彼はどうしてあんなに端正なプレイヤーになってしまったんだ?と思う。この頃のプレイを聴くとキースにも負けないくらい手数も多いし荒々しいよね。フーの頃は、やっぱりあの時代のフーの音楽に合ってはいるけど、キースの頃の曲を聴き比べた場合の「普通さ」は時にどうしても気になってしまう。特に16分音符でタムを普通に回す系統のフィルが結構多くて、コレがまあ、言ってしまえば野暮ったいんだな。<br />
<br />
ケニー・ジョーンズの特徴はやっぱり「どうしようもなくダサい」ということだと思う。とにかく野暮ったい顔つきもさることながら、ドラム叩いてる時のイマイチ堂々としない情けない感じとか、スモール・フェイシズ以降はどうしても目立ってしまう体躯の小ささとか、なんか変なパーマっぽい頭とか、どうしても佇まいがダサい。佇まいがダサい人がヤマハのドラムをスクエアに叩いていたらまあ、普通は格好悪く見えるよな。やむを得ん。<br />
<br />
でも、そんなケニーが物凄く格好良く見えた瞬間がフェイシズでのI Know I'm Losing Youのライヴ映像だった。しかもドラムソロ。ケニーのドラムソロなんか格好いいわけがないと思ったら、特別に難しいフレーズは叩かないし、ある意味ケニーのイメージ通りの「ダサい」フレーズのソロなんだけど、なんだか妙に格好いいんだよね。グルーヴだけでソロを構成してる感じもいいし、ダサいなりに完全に的を射たフレーズ(いや、実際にはフーでもそうなんだ)を叩き切る感じ。格好いいケニーを見たのはあの時だけだし、あれだけは素直に認める。格好いい。Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/08923365297074708397noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6970463574026628112.post-51653942207419810222014-10-29T19:59:00.001+09:002014-10-29T19:59:32.442+09:00Santana / Soul Sacrifice<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="http://4.bp.blogspot.com/-igMuQMeVsp0/VDMO_ZE6W2I/AAAAAAAABWI/0Qi_w3f4aCQ/s1600/santana_soulsacrifice.png" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="http://4.bp.blogspot.com/-igMuQMeVsp0/VDMO_ZE6W2I/AAAAAAAABWI/0Qi_w3f4aCQ/s1600/santana_soulsacrifice.png" /></a></div>
旧ブログでもやったネタだけども。<br />
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そこかしこで散々言っているけど、俺にとってサンタナとはマイク・シュリーヴとグレッグ・ローリーである。シュリーヴとローリーのバンドにカルロス・サンタナっていうギタリストがいるらしいよ、くらいの扱いであり、流石にそれは言い過ぎだ。<br />
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と言うのもやっぱりサンタナへの入り口はウッドストックでのSoul Sacrifice、というよりこの曲のドラムソロだったからだ。いや、正確にはライヴエイドのPrimera Invationで、この曲も大好き(勿論ローリーもシュリーヴもいない)なんだけど、アルバムをちゃんと聴こうと思ったのはSoul Sacrificeだったし、この曲を聴いた瞬間、Primera Invationはこの曲の焼き直しだというコトに気づいてしまったのだからむしろ第一印象の方が分が悪い。もっと言うと80年代のドラマー、グレアム・リアはシュリーヴに顔がそっくりでプレイは彼をもう少し雑にした感じであり、人間まで焼き直し感があってそれはあまりにも失礼な物言いじゃないか。<br />
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サンタナ1stのレガシー・エディションには初期ヴァージョンも入っているし、勿論スタジオ録音もあって、この曲は結構色んなヴァージョンが聴ける。初期ヴァージョンははっきり言って出来がよいものではない(ドラムソロ以外もね)。スタジオ版は端正に纏まっているけど、やっぱりこの曲の神髄はライヴだ。<br />
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YouTubeではタングルウッドでのライヴも観れるけど、やっぱりウッドストックのヴァージョンは白眉。ドラムソロのメリハリはこっちの方が圧倒的だと思う。俺にとっての三大ドラムソロの一つだけど、それはこのヴァージョンに適用される。この映画でサンタナは一躍注目されたっていうけど、それはやっぱりシュリーヴの功績が大きいんじゃないかな。他のテイクもいいけど、やっぱこの時のシュリーヴは別格だ。<br />
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Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/08923365297074708397noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6970463574026628112.post-43803001610562186072014-10-28T20:46:00.001+09:002014-10-28T20:46:37.890+09:00ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー<a href="http://2.bp.blogspot.com/-phQtq58IKRg/VD_CRPkJTiI/AAAAAAAABXQ/NnQV0nw8Rb8/s1600/gog_01.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="http://2.bp.blogspot.com/-phQtq58IKRg/VD_CRPkJTiI/AAAAAAAABXQ/NnQV0nw8Rb8/s1600/gog_01.jpg" /></a> アメコミ、特にマーヴル・コミックスは好きなんだけど、マーヴル映画は一個も見たことが無かった。そんな俺がマーヴル映画初体験するのがXメンでもアヴェンジャーズでもなくて、ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーとは。<br />
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チーム的にもキャラクター的にも予備知識はほとんどない。ヴィランイメージの強いドラックスが主人公側にいる?とは思ったけど、見た目が俺の知ってるドラックスとは違ったから同名の別人(マーヴルのキャラにはしばしば存在する)だろうと思っていた。ネビュラやサノス、ノヴァが出てくるのも知らなかった。むしろ興味をそそったのはサウンドトラック。スターロードことピーター・クィルの母の形見のカセットの収録曲が俺たちの琴線触れまくりの70〜80'sヒットなのだ。しかもメンバーがならず者ぞろい。ちょっと破天荒なノリが期待できる……と思って、仕事帰りにふらっと近所のIMAXシアターに出かけた。<br />
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IMAXの巨大なスクリーンに対峙するのが俺と知らんおっさんの二人(三人と思ったらもう一人が出入りしてただけだったらしい)だけ、という客の入りには驚いたが、まあ周囲を気にせずノリノリで観れるというコトで良しとする。なんせ俺の意識ではコレは音楽映画なのだ。コトによっちゃあ踊る心づもりで来ている。<br />
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オープニングからいきなりI'm Not In Loveだからもう、なんてベタなんだ!ってなったけどまあアメリカ映画だしな。舞台は1988年、曲はピーター少年(9歳)が聴いているウォークマンから流れているのだ。9歳でこの曲はシブくないか。意識して聴くと、捉えどころのない曲だよなぁ。<br />
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<a href="http://2.bp.blogspot.com/-OHUNhnM_sQs/VD_CRNVlx8I/AAAAAAAABXU/nJuk9FwPpKY/s1600/gog_02.jpg" imageanchor="1" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" src="http://2.bp.blogspot.com/-OHUNhnM_sQs/VD_CRNVlx8I/AAAAAAAABXU/nJuk9FwPpKY/s1600/gog_02.jpg" /></a><br />
ピーター少年は母と死別するやいなや何の説明も無く突如現れる謎の円盤に深い理由も無く連れ去られる超展開なんだけど、勿論この時点で形見のウォークマンと今わの際に受け取った包みは持ったまま。そのまま、やはり何の説明も無く26年の歳月が流れる。この辺のいくらでも説明できる流れを全部省略する粗雑さがアメリカン。この26年で地球のテクノロジーはテープの時代を終え、CD、MD、データへと移行している。恐らく宇宙のテクノロジーはもっと進んでいるはずなのだけど、26年後のピーターは26年間壊れなかったウォークマンと26年間ワカメにならなかったテープを聴き続けている。特別なものだからな。ソニータイマーが働かなかったのは奇跡としか言いようがあるまい。それともスペースソニーがサポートを続けているのだろうか。<br />
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妄想休題。<br />
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いや、ストーリーの解説しても仕方ないんだよ。シンプルな馬鹿映画だから。あらゆる映画と同じく、色々あってオーブを盗み出したり刑務所に入ったり特に計画も無く大暴れして脱獄したり色々あって仲間になったりオーブを売りに行ったりそれが大変なものだと解ったり仲間割れしたり絆を深めたりオーブが敵の手に渡ったり宇宙を守るヒーローになることに目覚めたり巨悪と闘ったり因縁の対決があったり絶体絶命に陥ったり仲間の犠牲で窮地を逃れたりオーブを取り戻したり辛くも勝利を収めたり英雄になったり軽口を叩きながらいずこへともなく旅立ったりするような普通のSFヒーローもののストーリーなんだよ。<br />
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以上、完全なストーリー解説でした。以下、ポイントを挙げる。<br />
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<a href="http://4.bp.blogspot.com/-qHb7xPTEOO8/VD_DGFmNTlI/AAAAAAAABXo/qfk79gq8v2U/s1600/gog_04.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="http://4.bp.blogspot.com/-qHb7xPTEOO8/VD_DGFmNTlI/AAAAAAAABXo/qfk79gq8v2U/s1600/gog_04.jpg" /></a> 木が可愛い。可愛いし、圧倒的に役に立つし、異常なくらい強いし、万能だし、可愛いし、いい奴だし、可愛いし、可愛い。複数の人から「ちびグルートのフラワーロックを発売すべき」というアイデアを聞いたが、完璧すぎるアイデアだし、多分それスタッフも考えてた。または逆にフラワーロックから着想を得たか。商品はI Want You Backの音源付きで発売すべき。ちなみにこのシーンのグルートの顔の造形、明らかにジャクソン5時代のマイケルをモデルにしてるよね。<br />
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「普通の」とは言っても主人公チーム全員が刑務所で知り合ったという基本的に犯罪者チーム。冤罪とかじゃないからね。明らかに犯罪でぶち込まれた奴らだから。やることは滅茶苦茶だし場当たり的だし力技だしまとまろうと言う気が全然無いし。ヒーローになる動機も正義の為というより要するに宇宙がヤバいコトになるとみんな死んじゃうじゃん、っていうシンプルなものだし。小悪党が巨悪の前で死にたくないから宇宙を守る、っていうのもまあ、極端ではあるのだけど。<br />
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以前このブログで扱ったパシリム、シンプル・シモン、バルフィなんかにも共通する「ラヴシーンが薄い」要素がこの映画も。最初のガモーラへのキスは未遂に終わるし、終盤ではむしろピーターよりドラックスといい雰囲気にさえ見える。そもそも最初のキス(未遂)は愛情というより殆どナンパに近いノリだし、宇宙に投げ出されたガモーラを救うシーンでありそうなもののそれもなく。多分メンバー間に恋愛感情は無さそうなのが素敵。<br />
<a href="http://3.bp.blogspot.com/-bXGenKTQlx8/VD_CRJZoBnI/AAAAAAAABXY/LxkxTkh1F1U/s1600/gog_03.jpg" imageanchor="1" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" src="http://3.bp.blogspot.com/-bXGenKTQlx8/VD_CRJZoBnI/AAAAAAAABXY/LxkxTkh1F1U/s1600/gog_03.jpg" /></a><br />
ヨンドゥが意外に美味しいし、いいキャラ。と思ったら役者が監督の親友らしいんだな。地上戦の異常な強さも開いた口がふさがらなかったし、ひたすら糞野郎の悪党を演じつつ最後偽のオーブ掴まされたのに気付いた時の笑顔!アレが良いんだ。「小僧、やってくれたな」的な。ホントに親代わりだったし、愛情を持って接していたんだろうなあ、と感じさせるシーン。<br />
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コレクター(オーブを買い取ろうとする人物)が出て来たとき、なーんとなくパシリムのハンニバル・チャウっぽいな(似ているわけではない)、と思っていたらラストで爆笑する羽目に。やはり映画はエンドロールで席を立ってはいけない。<br />
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ところでI Want You Back、ピーターのテープを模したサントラ「最強ミックスVol.1」(国内盤は出ていないがこの名で呼びたい)に収録されているけど、劇中設定だとVol.2の収録曲の筈だよね。本来のVol.1&2の全曲目を知りたい。Ain' No Mountain High Enoughも入ってるし、Vol.2は少し古めのR&B系の選曲だったのかな……と妄想するのも楽しい。ってか母ちゃん、あなたは死の床で一生懸命テープを編集していたのか。どんだけ音楽マニアなのだ。友達になりたい。Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/08923365297074708397noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6970463574026628112.post-38704642151324423152014-10-26T13:28:00.000+09:002014-10-26T13:28:09.548+09:00VHSテープを巻き戻せ! / ナニワのシンセ界<a href="http://3.bp.blogspot.com/-Fb-aWS5rW0Q/VEOhcCg5rhI/AAAAAAAABYA/l4jCP6VSbu0/s1600/vhs.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="http://3.bp.blogspot.com/-Fb-aWS5rW0Q/VEOhcCg5rhI/AAAAAAAABYA/l4jCP6VSbu0/s1600/vhs.jpg" /></a> 渋谷で「VHSテープを巻き戻せ!」を観てから約2ヶ月、同じ気分になるだろうな、と思いながらも、題材への興味に打ち勝てず「ナニワのシンセ界」を観た。同じ気分になった、が。<br />
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「VHS」は要するにノスタルジーを90分語り続けるドキュメンタリーだった。「自分たちはVHSで育った」「ホームビデオ文化が花開いた」「DVDになってない作品も沢山ある」異口同音に主張や思い出が繰り返し。さっき聞いたような主張が脈絡無く再登場する場面も多く、90分が長く感じる。飽きるんだよ。<br />
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確かにデジタル化されずに消えた(ゴミのような)作品も山ほどあるのだけど、残念ながらあらゆる意味でビデオテープにはDVDやBlu-rayより優れた面が無い。アナログレコードとは違うのだ。彼らはひたすらノスタルジーを語り、そこから新たな文化が産まれる可能性は全然見えてこない。<br />
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VHSでオリジナル(ゴミ)作品を撮り続けるおっさんが登場する。「VHSは手軽だから考えずに撮れ!撮り続けろ!」と主張するが、残念ながら今やデジタル機材の方が遥かに安価で、手軽だ。<br />
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「シンセ界」も作りは似通っている。こちらはノスタルジー要素は抑え目にしてはあるものの、代わりに「大阪の文化」の主張が強く出ていて、やはり同様に似たような話題が繰り返し登場し、飽きていく。<br />
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<a href="http://1.bp.blogspot.com/-YNqFdcSZOn8/VEOhcP8HpLI/AAAAAAAABX8/t3zRqD5BM94/s1600/synth_kai.jpg" imageanchor="1" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" src="http://1.bp.blogspot.com/-YNqFdcSZOn8/VEOhcP8HpLI/AAAAAAAABX8/t3zRqD5BM94/s1600/synth_kai.jpg" /></a> 致命的なのは、大阪の、伝統に根ざした面や、人と違うこと、面白いことをしたがる性質、ハブとして様々な文化が集まってくる土壌、という部分を語るのに、東京との比較が具体的に為されないこと。彼らは「東京と違って」と語りたがるワリには、実際に東京のシンセ文化はどうなのか、という部分が一切見えて来ない。だからその辺の主張は空虚に見えてしまった。<br />
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シンセ好きによるシンセ好きの為の映画、って側面は良し悪しだろう。基本的な説明はすっ飛ばして中核から入るから、この映画を切っ掛けに「シンセ界」に入り込む可能性は皆無に近い。完全に内側の人間だけがターゲットなのだな。だから音楽の話題は殆ど登場せず、あくまで機材の話に徹する。YMOだけ少し出てくるのには苦笑したけどね。<br />
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とはいえ、VHSとの大きな違いは、アナログシンセサイザーは現役の機材、文化であるということ。彼らには「これを使ってやりたいこと」があって、それをやっている。この映画はアナログシンセサイザーの「今」を語っているのであって、ノスタルジーの話では無い。この差は大きい。<br />
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だってさ、なんだかんだで観ててシンセのつまみグリグリ回したくなったもんね。久々にVolca引っ張りだして遊ぼうと思ったよ。Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/08923365297074708397noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6970463574026628112.post-85567699492619395962014-10-21T19:21:00.001+09:002014-10-21T19:21:42.572+09:00Paul McCartney & Wings / Red Rose Speedway<a href="http://4.bp.blogspot.com/-FPXFhkgFQhg/U57d7Z5-4YI/AAAAAAAABK4/q7FKwbqMJh0/s1600/wings_redrose.png" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="http://4.bp.blogspot.com/-FPXFhkgFQhg/U57d7Z5-4YI/AAAAAAAABK4/q7FKwbqMJh0/s1600/wings_redrose.png" /></a> 最初に買った時、豪華ブックレット(ヌード付き)に演奏メンバーの詳細なクレジットがあったのが嬉しかった(すでにそういう性格だったのね)んだけど、気になったのは2曲にデイヴィッド・スピノザとヒュー・マックラケンがクレジットされてたこと。当時すでに彼らがRamで参加してたセッションマンなのは知ってたんだけど、何故かこの2曲を当時のアウトテイクだと認識できず、何らかの理由で呼び寄せて参加させたって思いこんだのね。デニー・レインが参加してないんだから気づいてもよさそうなものなんだけど。<br />
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勿論この2曲(Get on the Right ThingとLittle Lamb Dragonfly)はRamのアウトテイク。多分気づきづらかったのは、Ramが直前のアルバムじゃなかったからだと思う。Wild Lifeに収録しないでこっちに入れた理由が解らなかったのね。<br />
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そういう意味で考えてもまだ謎があるのは、そもそもRed Rose Speedwayは2枚組になる構想さえあったにも関わらず、わざわざRamのアウトテイクを引っぱり出していること。2枚組ヴァージョンの曲目は解っているんだけど、その時点でこの2曲は含まれているから、Ramで捨てたのを勿体なく感じていただけなのかもしれないけど。<br />
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まあ、どちらも確かに良い曲だ。俺がこのアルバムで最初に気に入ったのがGet on the Right Thingだし、ウチの妹はLittle Lamb Dragonflyをフェイヴァリットに挙げていたことがある。少なくとも我が家では大人気の2曲だった、と言って間違いない。要らないデータだけどな。<br />
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<a href="http://2.bp.blogspot.com/-7J89sD5V3KM/U57d7ZaX9GI/AAAAAAAABK0/lkvAx0E_v9k/s1600/wings_mylove.png" imageanchor="1" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" src="http://2.bp.blogspot.com/-7J89sD5V3KM/U57d7ZaX9GI/AAAAAAAABK0/lkvAx0E_v9k/s1600/wings_mylove.png" /></a> アルバム全体の空気感もWild LifeよりRamに近くて、多分レコーディング方法も近かったんじゃないかな。前作はウイングスのお試し録音的な色彩の強い一発録り、今作は再び、ベーシックをラフに録ってそこにオーバーダビングを施す形式。ただ、今回はバンドの為、ポールのコントロールが行きわたりきれない部分もあったと思われ、Ramの時より幾分ラフな仕上げになる。<br />
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あと、Ram Onの二つ目のヴァージョンでBig Barn Bedの予告がされてるのもRamとこのアルバムの連続性を感じさせちゃう一因だよね。予告しといてWild Lifeじゃなくてこっちに入れちゃう、っていうのが、変な人だよなぁ。もしかしたらポール、リンダ、サイウェルで録った原型ヴァージョンみたいなものがRamの時点であったのかもしれない。<br />
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そもそも、ポールが「曲がいっぱいある」っていうときは楽曲のレベルを無視してものを言ってることが多くて、実際このアルバムの2枚組ヴァージョンで聴くと、感触がLost McCartney Album(McCartney IIのオリジナル)に近くなる。インスト曲や妙にラフな曲がいっぱい入ってるんだよね。その片鱗は完成版でもLoop (1st Indian on the Monn)や、ラストの小粒メドレー(いや、俺は大好きだけど)に現れている。<br />
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そういう意味では、好き嫌いは別としてもMy Loveはまさしく「画竜点睛」だったと思うんだよね。完成度って意味で明らかに飛びぬけてて、アルバム全体がピリっとする。だからってLive and Let DieやHi Hi Hiまで入れないあたりのバランス感覚も素晴らしいな、とも思うんだけど。Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/08923365297074708397noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6970463574026628112.post-65787525291597799162014-10-19T20:34:00.001+09:002014-10-19T20:34:55.252+09:00The Yardbirds ブルーズ至上主義者のエリック・クラプトンはヤードバーズにとって邪魔ものであった、少なくともバンドの進化の妨げになる存在であった、という解釈。<br />
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<a href="http://3.bp.blogspot.com/-AhTg3rBHUmM/VA2j6Jxf1FI/AAAAAAAABO4/gFsATkUEBRU/s1600/yardbirds_foryourlove.png" imageanchor="1" style="clear: left; display: inline !important; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="http://3.bp.blogspot.com/-AhTg3rBHUmM/VA2j6Jxf1FI/AAAAAAAABO4/gFsATkUEBRU/s1600/yardbirds_foryourlove.png" /></a> エリック時代に残された音源の大半はライヴ。それ以外は2枚のシングルと、64年までに残された数曲のデモ録音のみ、ということになる。スタジオ、ライヴ共に基本的にブルーズ、R&Bマナーに則ったスタンダードな演奏で、勿論エリックの志向にも沿ったものだったと思われる。シングルのGood Morning Little Schoolgirlはかなりポップなアレンジになっているのだけど、これに対してエリックが異論を唱えた、という話も無いから、ある程度の割り切りはあったのかもしれない。<br />
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ただ、おそらくバンドはもっとメジャーに、ポップに、そしてアーティスティックな方向に進みたかったんではないか。ポップとアーティスティックは矛盾しないのだけど、ブルーズを追求すること=アーティスティックな姿勢、と思っていたギタリストはこれを良しとしない。かくして、バンドはエリックを切り捨ててでも「ポップでアーティスティックな」グレアム・グールドマンによる新曲For Your Loveの録音を敢行する。<br />
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ここから3枚、グールドマンの提供曲によるシングルを連発するのだけど、Heart Full of Soulからはエリックよりずっと柔軟で、ロック的なギタリスト、ジェフ・ベックを迎えることになる。それによってバンドはエリック時代に行っていたブルーズ/R&Bの模倣という領域から抜け出すことが出来たんじゃないかと思う。<br />
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<a href="http://2.bp.blogspot.com/-_1MAXMjrTd8/VA2j6Ng-PbI/AAAAAAAABO8/qLA-VzcYzOI/s1600/yardbirds_overunder.png" imageanchor="1" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" src="http://2.bp.blogspot.com/-_1MAXMjrTd8/VA2j6Ng-PbI/AAAAAAAABO8/qLA-VzcYzOI/s1600/yardbirds_overunder.png" /></a> 後に10ccを結成するグールドマンの曲はこの時代から既に所謂「ひねくれポップ」の味わいを出していて、結構狂っている。それを受け止めるにはエリックでは不十分だった。そして、そのエッセンスをバンド側が吸収していく過程はEvil Hearted YouのB面、Still I'm Sadを経て、必殺の代表曲Shapes of Things、そしてOver Under Sideways DownとアルバムRoger the Engineerへと、刻々進化するオリジナル曲に表れている。<br />
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ここまでのオリジナル曲全てにマッカーティとサミュエル=スミスの名がクレジットされてることも重要(アルバムの収録曲は全員の共作名義)。なんかこの時代、ベックが曲書いてるとか勘違いされてそうな気がするけど、実はこのあと、ペイジ加入に至ってもバンドの中心人物はレルフとマッカーティなんだよね。Shapes〜がレルフ/マッカーティ/サミュエル=スミスって名義なのは少し驚いたな。<br />
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さて、ヤードバーズを追い出された(という認識は誰にも無いだろうが)エリックはと言えば、ジョン・メイオールのバンドに加入、取り立て観るべきところのない凡庸なブルーズの模倣作品をリリース。しかし、自分が抜けたバンドがRoger the Engineerをリリースしたのを見て「これではマズいのではないか」とようやく気付いて、ポップでアースティックなロックバンド、クリームの結成に至るのだ。こう解釈しないとクリームのデビューシングルが「包装紙」ってコトの説明がつかないのよね。Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/08923365297074708397noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6970463574026628112.post-43820120962437625562014-10-16T20:58:00.002+09:002014-10-16T20:58:08.362+09:00Led Zeppelin / Immigrant Song<a href="http://4.bp.blogspot.com/-FB8eMRFDLvU/VA2iy0dnoVI/AAAAAAAABOk/albEJ1UiAw4/s1600/zep_immigrantsong.png" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="http://4.bp.blogspot.com/-FB8eMRFDLvU/VA2iy0dnoVI/AAAAAAAABOk/albEJ1UiAw4/s1600/zep_immigrantsong.png" /></a><br />
「移民」と「Immigrant」の音の一致は素晴らしいながら置くとしても。<br />
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Zepの代表的ハードロックヒットとして聴かれているこの曲だけど、14年リマスターを聴いてなんとなく正体が分かった。ある意味でこの曲、Kashmirの先祖的な位置づけでもいいんじゃないだろうか。<br />
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パーシーが北欧神話をモチーフに詞を書いたのはてきとうにやったワケじゃなくて、やっぱり曲の持ってるエキゾティックな、ケルティック、なのかな?そういう響きを読み取ったが故、なのは言うまでもない筈。イントロの咆哮(?)だってそういうメロディラインだし、レコードのヴァージョンには出てこないペイジのギターソロもどこかエキゾティックなメロディ。基本テーマとしてそういう方向性がはっきりあったことは間違いない。<br />
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そう思って聴くと、実はリフ、そしてそれにシンクロするボンゾのあの、それこそハードだ、ラウドだと解釈されがちなキックのフレーズも実はヘヴィでこそあれ、ハードというよりむしろある種のシーケンスフレーズ的な、ミニマルなフレーズに聴こえてくる。実際、ライヴではともかく、スタジオヴァージョンの特に歌バックを聴いているとベースともども凄く淡々とプレイしているのが解る。これがエキゾティックなメロディのバックを担うことによってどこか呪術的な雰囲気も漂わせる、というワケ。<br />
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14年リマスター収録の別ミックスを聴くともう少し解りやすくなって、特にエンディング付近からのサイケデリックな味付けがこういう要素を強調していることが解る。完成版ミックスではこの辺は少し抑えられ、よりキャッチ−なポップミュージック(シングルヒット向け!)としての完成度を目指す方向性に改められたようだけど、別ミックスだと、突如大量に重ねられるパーシーのヴォーカルや、そのあとの唸り声、ギターのサウンドなどがかなりサイケデリック、しかも英国サイケと言うよりDr.ジョンのヴードゥー路線みたいな音にさえ聴こえることが解る。<br />
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実はこの解釈だと次のFriendsへの流れも自然だし、誤解されがちな「異色作の中で唯一の従来路線」なんてのは大嘘だ、ってコトもよく解るはず。結構実験的なんだ、この曲も。Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/08923365297074708397noreply@blogger.com0