2014年9月25日木曜日

ひなぎく

 モッズ畑の人たちが観るようなことを言っていたし、俺自身予告編をたまたま観て気になっていた、60年代のチェコ映画。60年代のチェコ、東欧ということを考えると、勉強すべき背景も色々ありそうだったけど、予告編を観た範囲で感じたポップさをよりどころに、あくまでそういうフィルムとして観ることにした。

 全体的にはストーリーらしいストーリーがあるでもないのだが、大筋はあって、(おそらく)10代の(おそらく)姉妹が三大欲求の赴くままに好き勝手行動し、大人を翻弄する、というもの。だが時系列や空間移動はでたらめになっていて、それは手法として使われたコラージュ的な感覚が映画内の世界そのものに適用されている感じ。映像はあくまでシュルレアリスティックなイメージの断片。カラーだったりモノクロだったり、単色だったり版ずれ(って言わないな。映像だとなんていうの)っぽい映像だったり。同じ(ように見える)画面が別の手法で繰り返されたりもするし、いかにも60年代のアート映画という印象は、ある。

 主人公姉妹(本当に姉妹なのかははっきりしない)は終始よく笑うし、よく呑み、よく食べる。金を持っていそうな男を漁って奢らせて追い返し、芸術家っぽい男を誘惑し、自宅では惰眠を貪る。生産的なことは一切しないし、常に迷惑だし、下品だし、当時のチェコでこれを「自由」として描写したのかな、と思うと、それは一面ではあっても、本質的にはやはりちょっとだけ違う気もする。

 ひたすら快楽を求める彼女たちの行動に、中盤突然暗雲が立ち込める。ストーリー的な何かではなく、あるタイミングから画面に急に死の香りが立ち込め始める。「仕事をする大人たちから彼女らの姿が見えない」という描写は勿論若者と大人のギャップを描いているのだろうけど、どうしても俺の目には彼女らが生きているように見えなくて仕方が無かった(「生きてる、生きてる」なんて言いながら歩くのは生きてない証拠じゃないか)。

 そこからラストに向かう流れにはもうポップな空気も無く、どれだけ楽しげに無人のパーティ会場を蹂躙してもそこに感じられるのは不穏な空気のみ。他者も登場しなくなる。そして、その傍若無人な行動を打ち破るのも会場への大人の闖入ではなく、突然室内のシャンデリアから海(湖?)へ投げ出されるという理不尽な瞬間移動。

 自分たちの行動を反省した彼女たちは「いい子になろう」とパーティ会場を必死で元通りにしようとする。ぐちゃぐちゃの食材や割れた食器を並べ直して「きれいになった」会場でテーブルに横たわると、再び「シャンデリアの審判」を受けて突然映画は終わる。勿論、シャンデリアに押しつぶされて死んだという解釈はシンプルなんだけど、俺は前述の通り彼女たちはとっくに生きていない(死んでいるかは解らない)と思っていたから、エンドロールの爆撃映像へ繋がる(時代/社会への?)絶望感の表現のように思えた。

 もう少しシンプルに言うなら、孫悟空がお釈迦様の手のひらの上を飛び回ってたあれかなあ。若者が自由を謳歌してるように見えても、それは所詮閉塞した社会のほんの隅っこで、そしてその先に見えてるのは絶望っていうような……うーん、解ってないのに難しいこと考え過ぎた感はあるけど。でも、現代に対する自分の実感と共通するものもあったのはホントなのよね。

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