2015年2月8日日曜日

SHIFT~恋よりも強いミカタ

 都内でレイトショーは敷居が高い。ついでがあったので何とか観れたけど、しかし21時過ぎからの回で1800円なのかよシネマカリテ。まあ良い。観たい映画には金を払うものであろう。ん?俺ってそんな意識持っていたっけな?

 余談はともかく、モテないことには定評があり、しかも高校時代からずっとなんだけど惚れて告白して振られた女の子と仲良くなってしまうという楽しいながらも難儀な特性を持つ俺にとってはなんとなく観ておくべきなんじゃないか、という気がしたのだ。

 主人公のエステラはライヴハウスで歌うシンガーソングライターで、アマチュアの写真家で、文章も書き、委託業者でどうやら非正規雇用。映画のストーリーは、仕事でパートナーになったゲイの男性と友情を深めてるうちに彼に恋心を抱くようになり……というもの。ライヴハウスに出たりするドラマーであり、アマチュアレベルにも達さないものの絵を描き、非正規雇用の派遣社員で、しかも上記のような性質を持つ俺としては、性別は違うけどなんとなくこの子に共感するのではないかな、と思ったわけだね。

 フィリピンっていう国の制度が同性愛者にとって暮らしやすいものになっているのかどうかは知らない(*)。主人公が勤める会社の、(少なくとも)彼女の所属するチームはリーダーからしてゲイで、他のメンバーにも複数の同性愛者がいて、それを他の仲間も普通に受け入れている描写。映画の中では同性愛は終始普通のこととして描かれ、決して「セクシャルマイノリティ」として描写していないことが印象的だった。社内だけでなく、外でもオープンだし、他者もそれに干渉したり、奇異の目で見る描写は無い。

 主人公が惹かれてしまう相手、トレヴァーは交際相手もいるゲイ。ただ、相手とは上手くいっていない。トレヴァーはエステラをあくまで親しい友人としてしか見ない。ただ、親しいのレベルが高いから惚れちゃってる側からすると解っていてもデート気分で浮かれるんだよね。で、ところどころで現実が垣間見えると軽く落ち込んだりも、する。それは痛いほどわかる。

 ただ、エステラはそのストレスに耐えきれないんだな。割り切って友人としてつきあって「恋人になれないのは残念だけどまあ、コレはコレで楽しいからいいかぁ」って心境に持って行くにはまだまだ若い。俺自身は能天気な部分も多いからコレで乗り切っちゃうし(若いころからだけどね、俺は)、その楽しさを享受できる。だから観ていて「ああ、そこがストレスになっちゃうんだよなあ」とは思ったんだけど、まあ俺の場合同性愛者に惚れたコトは無いから、その壁は解らないんだよな。

 それで、エステラが冷たく当たるようになってトレヴァーは理解できなくて、メールにも返事貰えないことに対しこっちも困惑しまくって、不安でぐちゃぐちゃになって、まあ、俺もこっちの気分もよ〜く解るんだけど(笑)、だとしてもトレヴァーは別にエステラに恋してしまったわけではなく、大切な友達の態度が変わってしまったことに困惑しているだけなんだよね。ただこの辺の描写がちょっとトレヴァーの気持ちがエステラへの恋に動いてしまっているように見えて、観てる側としては「それじゃあ台無しだろう」って思ったんだけど。まあ、ラストまで観ると違うと解る。ちょっと描き方がなー、って部分かな。

 余談だけど、連絡付かない不安で死にそうになってるときの表情と、さらっとメールが届いた時の安堵の表情、自分と完全一致していて笑った。

 終盤、一旦お互いのスタンスに納得したように見えたエステラが結局「友達じゃ嫌だ」になってしまう流れは残念。そしてラスト、転職先の面接に貼りついたような作り笑いで挑むエステラ。「五年後の自分は?」との質問に絶句したままエンドロール。

 この手の映画は若者の内面の(ちょっとした)成長を描くものが多い印象だけど、この終盤の流れからエステラの成長は見て取れなかった。結局どこにも進んでないし、何も理解してないエステラ。フランシスやジルミルやイーダのように、ちょっと(または大きく)前に進んだエステラの姿はそこからは見えない。五年後も満足のいかない職場で、不毛な恋をしていそうだな、っていう……

*…ちょっと調べたらフィリピンには同性愛者が多いというのは事実のようだった。ただ、カトリック教国であるが故に制度と社会の状況は必ずしも一致していない模様。「そして同性愛者の方は、そうした芸術面だけでなく、コールセンターで働く多くの人達もおり」という一文が目を引く。

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