2014年8月19日火曜日

怒れ!憤れ! -ステファン・エセルの遺言-

 「映画を観ない男」であった俺に映画を観る習慣がついて約半年経った。今では多い時には週に3本、一日に2本見ることもある映画狂である。いや、嘘。やっぱりベツに「狂」じゃないし観ると決めていても観る前には「面倒臭いなあ」とか思うし。でも観るのは映画が楽しいことが解ったからで、いやまあ「何をいまさら」って思うでしょうけどね。

 映画に慣れないと観れない映画というものは存在する。

 今年観た「怒れ!憤れ!」は、ステファン・エセルの著書をインスピレーション源としたセミ・ドキュメンタリー。勿論「原作」はある種のアジテーションであり、物語ではないからそのまま映画にはならない。それを、移民の少女の物語(フィクション)と現実にヨーロッパ各地で行われたデモ(ノンフィクション)を組み合わせ、要所要所にエセルの著書からの文言を字幕のかたちでインサートして繋いでいる。

 俺はエセルの本を先に読んでいたけど、それでも難解、というかまあ俺の読みが足りないんだけど、でもメッセージは強く表現されてるから、多分これは読んでなくてもそれなりに響く。

 ただ、解るとか解らないではなく、映像と音が素晴らしいからなんとなく入り込むんだよね。「惹き込まれる」って言い方のほうがいいかな。広がりの表現が目についた印象。空や草原がばーん!って広がったり、屋内でも、閉塞感を感じる表現でも逆に広さの方が強調されてたり、周りを囲まれていても空が抜けていたり。雨の中みかんが大量に転がっていくシーンも近似の表現だと思ったな。

 音は、ノイズが音楽に転じるパターンの多用が印象的だった。空き缶が転がるシーンが繰り返し出てくるんだけど、その時のノイズがリアルな音じゃなくてループを使ってるんだよね。明らかにビートがある。これは狙ってやっていて、終盤で同じシーンが出てくるときには明らかに音楽に転じる。前半で、廃ビル(?)のなかにフラメンコダンサーやシンガーが出てくるシーンもそう。ダンサーのタップとノイズが組み合わさって複雑なリズムになる。で、こういう表現と後半のデモ中のシーンでのサンバ演奏がシームレスなのね。常に音は存在して、音は常に音楽。そういう表現。

 肝心のテーマに触れていないのは俺が馬鹿だから。感覚としてはなんとなく伝わってくるんだけど、捉えきれていないし、解釈するには勉強不足だ。だから俺はこの映画の音を、音楽を、メッセージを、感じることしかできない。だけど、運よくある程度映画というものに慣れてから観たから、どうにかその感覚だけは掴むことが出来たと思う。パシリムの後でいきなり観ても「なんだこりゃ退屈だな」で終わってた気がするんだよね。

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